5Gの世界が作り出すもの

岡本 裕明

先週、ラスベガスでコンスーマーエレクトロニクスショー、略称CESが開催されていました。世界最大の家電見本市というのがもともとの売りでしたが、今では世界最大のハイテクショーといった方がいいでしょう。家電メーカー主体だったものが自動車メーカー主流になり、今ではIT関連の会社への注目が最も高くなっています。日本企業の名前があまり出てこところは心配な点であります。

さて、今年のCESで注目されているのは5Gの世界と言われています。要は通信速度が飛躍的に早くなることで我々を取り巻く世界がさらに一歩進むわけで今年は5G元年ともされています。4Gが出来た時、携帯はスマホにとって代わりました。5Gになるとどうなるのでしょうか?

基本の発想は大容量、高速化による遅延減少、それと多重の接続とされます。ピンときませんね。

これにより一般的には遠隔操作の時代になると考えられているようです。その場にいなくてもあらゆる情報が自分の好きなところで拾えるだけではなく、そこでタイムラグなく操作できるのです。例に上がっているのが遠隔手術などの医療技術の発達、自動車の自動運転化が多いようですが、応用範囲は広いと思います。世界的名医が日本の病院の手術室にいる患者の執刀をすることもできそうです。

あるいは世界の名手だけを集めたオーケストラをネット上でやることも可能になるし、スポーツ観戦は主画面と補助画面で違うアングルを同時に見ることができるかもしれません。

自動車関連では事故情報を拾い、その道路を通過しそうな車に回避指示を出し、最も早く行ける方法をAIが検出するということも可能です。あるいは到着時間の推定もできるでしょう。

様々な想像力をかきたててくれそうですが、私が一番あえりえると思うのは人々の「行動把握」だと思います。全ての人の動きをコンピューターが全部見ていてどこで何をしていてもだいたいわかってしまう世界がやってくるのかもしれません。

今、日本でも中国でも顔認証をAIで組み合わせることによる犯罪防止がごく当たり前になりつつあります。これはこれですごいのですが、特定人物の行動確認はかなりできるようになってきています。これにより個人のプライバシーの範囲はどんどん狭くなってくるのでしょう。公的機関や第三者がプライバシーを理由なく監視すればそれは犯罪とも言えますが、情報とデータは確実に存在するはずでそれを引き出すのは簡単になりそうです。

便利、といえば便利です。しかし、それが当たり前になるのも怖い話です。例えばスマホを持っている人にガラケーに戻れ、と言ったらできないでしょう。今や、携帯なりスマホなりを持ち歩かないことが考えられない時代です。財布を忘れてもスマホは忘れるな、です。

多分、人は進化する便利さの中に何か人間らしいものを求めるような気がします。それはなにか、ふれあい、ような気がします。だから今、コンサートが異様にブームで共鳴できる人たちが同じ空間をシェアすることが進みます。高齢者はハイキングに趣味の集まりをします。

5Gの世界が作り出すものは便利さとともに人間らしさを必死に探す世界になるのかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年1月14日の記事より転載させていただきました。