オーストリアの外交が少しおかしい

アルプスの小国オーストリアは欧州連合(EU)の加盟国だが、北大西洋条約機構(NATO)には加盟していない。同国は冷戦時代、民主陣営と共産圏陣営の東西両陣営の架け橋をモットーに永世中立を国是としてきた。冷戦終焉後、その中立主義の見直し論が活発に議論されたことがあったが、議論で終わり、中立主義はこれまで維持されてきた。そのオーストリアの外交が少々おかしくなってきた。欧米の民主主義価値観を共有する一方、ならず者国家と呼ばれるイランや北朝鮮との関係を深めるだけではなく、ロシアや中国の大国との関係でも欧米諸国の懸念をしり目に独自の関係を構築してきている。以下、説明する。

▲河野外相と会談したクナイスル外相(2018年7月、ウィ―ン外務省内で撮影)

オーストリアの対ロシア外交にはEU加盟国から久しく批判の声があった。英国で昨年3月4日、亡命中の元ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)スクリパリ大佐と娘がソールズベリーで猛毒の神経剤で殺されかけた。英国政府はスクリパリ暗殺未遂事件をロシアの犯行と判断して対ロシア制裁を実施、駐英のロシア外交官の国外退去を実施した。EU加盟国も英国政府の決定を支持したが、オーストリアはロシア外交官の国外退去処分は実施しなかった。曰く、「ロシアとの対話の道を閉ざすことは外交上、賢明ではない」というのだ。

プーチン氏は昨年6月5日、ウィーンを既に公式訪問し、ファン・デア・ベレン大統領、クルツ首相らオーストリア政府首脳たちの歓迎を受けた。プーチン氏は4期目の大統領就任後の初の外国訪問先にウィーンを選び、オーストリア側の親ロ政策にむくいている。

それだけではない。EU諸国がロシアに厳しい制裁を実施している中、オーストリアのカリン・クナイスル外相は自身の結婚式(昨年8月18日)にプーチン氏を招待し、一緒にダンスに興じるなど、ウィーンの親ロシア路線は欧米諸国からブーイングを受けたばかりだ。対ロ制裁を実施するブリュッセルがオーストリアの独自外交に苦々しい思いを感じていることは明らかだ(「スパイたちが愛するウィーン」2010年7月14日参考)。

オーストリアの「対話の窓口を維持する」という理由はあくまでも外交上の弁明に過ぎず、ロシアから欧州に直接連結するガス・パイプライン建設計画「ノルド・ストリーム2」への参加をオーストリア側が模索しているからだ、といった憶測が流れたほどだ。ちなみに、オーストリア連邦軍の退役陸軍大佐(70)が過去20年間以上にわたりロシア側にさまざまな情報を流していたことが昨年11月、判明したばかりだ(「退役陸軍大佐、ロシアに情報流す」2018年11月11日参考)。

オーストリアの対イラン外交は対ロシア外交ほど目立たないが、西側の対イラン外交の結束を緩めている。ロウハニ大統領が昨年7月4日、オーストリアを公式訪問した。イラン大統領がEU加盟国の首都を国賓として訪問するのは非常に稀だ。音楽の都ウィーンしかできない芸当かもしれない。欧米諸国で制裁下にあるイランの大統領を国賓として招いたのはこれまでのところオーストリアだけである。首都ウィーンにはイランの核問題交渉の舞台となった国際原子力機関(IAEA)の本部がある。対イラン制裁にもかかわらず、オーストリアとイランの関係は他の欧州諸国では見られないほど緊密だ(「ロウハニ師に“笑み”がこぼれた瞬間」2018年7月6日参考)。

オーストリアの対北朝鮮外交は欧州ではユニークだ。このコラム欄でも数回、オーストリアと北朝鮮の関係を詳細に紹介した。北朝鮮の欧州拠点は久しくオーストリアだった。北の欧州唯一の直営銀行「金星銀行」が1982年にウィーンで開業されたのは偶然ではなかった。「金星銀行」の開業を支援したのはオーストリアのクライスキー社会党(現社民党)単独政権だった。同銀行は北のミサイル貿易、麻薬取引など不法な経済活動の拠点として利用された。また、核関連物質や金王朝への贅沢品の調達はウィーンを拠点に行われてきた。特に、社会党が単独政権を掌握していた時代、北はウィーンの政界で人脈を拡大。ハインツ・フィッシャー前大統領は「北朝鮮・オーストリア友好協会」の中心的メンバーであり、北側の様々な要請の窓口的役割を果たした政治家の一人だ。

大韓航空機爆発テロ事件(1987年11月28日)は音楽の都ウィーン経由で始まった。爆発テロ事件の実行犯の2人はウィーン市立公園に近い「ホテル・アム・パークリング」に宿泊し、犯行を練っていた。オーストリアは北朝鮮の不法な工作活動で常に大きな役割を果たしてきたのだ。

その関係はオーストリアで親米派のシュッセル政権が発足するまで続いた。北の欧州拠点はここにきてドイツや英国に移動してきたが、ウィーンの親北政策の伝統にはあまり変化はない(「ウィーンで展開された『北』工作活動」2017年11月29日参考)。

最後に対中外交だ。ファン・デア・ベレン大統領やクルツ首相は昨年4月、中国を公式訪問したが、クルツ政権下の対中政策はEU加盟国の中でも少々変わっている。例えば、習近平国家主席が提案した「一帯一路」構想を高く評価。中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)社製品に対し、「ファーウェイは通信会社という仮面をかぶった共産党のスパイ機関だ」という懸念が高まり、政府調達から排除する国が欧米で拡大してきたが、オーストリ政府は同調しない方針といわれる(「中国の『人権問題』どうでもいいの?」2018年4月9日参考)。

それだけではない。世界の大学で中国の情報機関といわれる「孔子学院」の閉鎖が進められているが、オーストリアではその逆だ。オーストリア代表紙プレッセ1月18日付によると、ウィーン大学とグラーツ大学に「孔子学院」があるが、第3の「孔子学院」が年内にもザルツブルク大学で開校されるというのだ。オーストリア国内での中国の工作が政府上層部まで浸透し、反中政策は阻止される一方、「孔子学院」の拡大などを通じてさまざまな工作が広がってきている(「『孔子学院』は中国対外宣伝機関」2013年9月26日参考)、「米大学で『孔子学院』閉鎖の動き」2018年4月13日参考)。

対ロ、対イラン、対北朝鮮、そして対中国のオーストリア外交を急ぎ足で見てきた。ハプスブルク家が婚姻外交でその政治勢力を拡大していった話は有名だが、その後継国オーストリアの外交が他のEU加盟国の外交とは違っていることは一目瞭然だろう。外交の中立主義が理由というより、一定の国益を追求し、全方位外交を展開し、生き延びていく小国の狡猾な外交路線ともいえるかもしれない。好意的に言えば、独自外交だが、最近の対ロ、対イラン、対北、対中外交は欧米の外交結束を崩す結果ともなり、欧州の統合プロセスを阻害してきた。これが「オーストリの外交が少しおかしい」というコラムの見出しの意味だ。

なお、今年は日本とオーストリア両国友好150周年(1869年~2019年)を迎えた。日本・オーストリア両国間で政府首脳の訪問外交も予定されている。ロシア、中国、イラン、そして北朝鮮に“太いパイプ”を持つオーストリアの外交は日本の外交にとっても興味深い対象だろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年1月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。