いつもトラブルが絶えない隣人がいるとそれだけでストレスになることはあります。勝手に自分の敷地に入ってきたり、自分の庭をじっと覗き込んだとか、監視しているとか、はたまた臭いにおいがする、危険なものを置いているなどあらゆることにいら立ちを感じるようになります。
これが一般社会の隣人であれば役所や警察、裁判に訴えるなり、引っ越すなりの解決方法はまだ残されています。が、今の日本と韓国の政府間のやり取りは言葉すら全く通じていない状態であります。頑なに相手の言葉を否定すると言ったらよいのでしょう。
スイスのダボスで河野外相と康京和外相が久しぶりに1時間に及ぶ会談を行ったものの双方が双方の主張を繰り返すだけで終わったように見えます。つまり、解決の糸口は現状全くないと言ってよいと思います。
ではトップ同士はどうかといえば安倍首相と文大統領は会うことすらはばかれる状態にあります。お互いに明後日を向いているのですから無理に首をひねると首がポキッと負担がかかるのが落ちでしょう。
振り返ってみれば慰安婦問題や徴用工問題、さらには数々の歴史問題において日本と韓国は言い分が往々にしてずれており、時間が経つごとにそのギャップが大きくなることの繰り返しでした。韓国人とディールすると口頭で「これもする、あれもする」とよいことを並べます。ところがしばらくして「あれはどうなった?」と聞けば「知らない」といわれることもあります。あるいは顔がすり替わり、「あの人はそう言ったかもしれないが、今はダメ」というのもあります。いわゆる勝手なルール変更です。
日韓関係をどうするか、過去にもずいぶん皆さんと考え、私もいろいろ書いてきました。歴史も見てきましたし、私も韓国の方とのビジネスなどを通じた付き合いもあります。結局、言えることは両国間は良い時、悪い時が波状のように訪れ、悪い時が主流で良い時がたまに雲の間から太陽が見える程度であります。
ならば双方、独立国として一定の距離を置いて冷静かつ、粛々とやるしかないのでしょう。政府ベースの経済文化社会協力などは必要なものだけにとどめたらよいでしょう。両国間は安全保障などで最重要国とされます。しかし、今後北朝鮮外交問題の展開次第ではその地図も大きく塗り替えられる可能性はあります。民間ベースのビジネスについても一部の韓国に進出する日系企業はさらなる関係強化を望んでいるとされますが、それは個別のビジネスベースで検討すれば良いだけでしょう。
一旦、関係をスクエアにし、積み残した問題については双方の水掛け論層ではなく、第三者等を交えた論理的、且つ国際基準に基づいて時間をかけてでも決着をつけていくしかありません。哨戒機問題は具体的被害がないため、その判断はより難しくなるでしょう。ニュースになるから盛り上がるのであって一般人がどうこうコメントできる話ではない点にマスコミも気が付くべきです。申し訳ないですが、「音」を公開されてもその道の専門家以外、誰も理解できないのではないでしょうか?
グローバル化と称しながらも国際紛争における裁判制度がほとんど機能しない現代社会においてグローバル化はある意味、良いとこどりの盛った話でトラブルシューティングの手法が確立されていない重大欠陥を持っています。触らぬ神に祟りなしとはよく言ったもので、政府間の関係は定期的な会合などを通じた対話は行うもののあとは個別案件ベースにした方がよいのでしょう。
案外、民間ベースで何らかのきっかけができることがあります。かつて冬ソナなど韓流ドラマブームやKPOPブームがありました。そういう意味では一部議員が声を上げるノービザ制度の見直し案は官庁ベースの不調和を民間に押し付けるという意味で愚の骨頂だと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年1月24日の記事より転載させていただきました。