定期購読誌『ハルメク』2018年12月号の「巻頭インタビュー」は、脚本家の「内館牧子さんが考える品格ある年の重ね方」というものでした。当該テーマに対しては各人より様々な解釈があり得るでしょうが、以下私の考え方を簡潔に述べておきたいと思います。
はじめに、品格や品性ということで私見を申し上げると、とどのつまりそれこそが最も大事な人間の値打であり、そこに尽きるのではないかと思っています。之に関しては、一年前のブログ『品性というもの』等に書いておいた通りです。
例えば、ある程度年をとって結婚式のスピーチを頼まれたといった時、「この人、ダラダラダラダラと何か喋ってはいるけれど、何を言っているのかなぁ?さっぱり分からないんだけど…」と皆から思われるような人は、馬齢を重ねていたと言わざるを得ないでしょう。
やはり、それだけの年をとり、それだけの経験を踏まえたら、それなりの品格が感じられる話が出来る人間になっていないといけない、と私は思います。但し、「人生100年時代」と言われている中で、仮に80歳で出来たとしても、90歳・100歳でそのように出来ないかもしれませんが。
90歳を超え、アルツハイマー病になるとか脳血管性認知症になるとかで、どうにもならないというケースも多分にあると思われます。従って、品格ある年の重ね方とは、あくまでも自分の頭がはっきりし、記憶力もあり、判断力も充実している時点において可能なことだと言えましょう。
病気だ痴呆症だといった状況下、脳がダメージを受け機能不全を起こして行く中で、人間が品格を保てなくなるのは仕方がありません。此の時には、その人による品格ある年の重ね方でなく、その人の面倒を見る例えば家族による品格ある対応の仕方こそが、より大事になるのだと私は思います。
今、どんどん認知症が進みつつある母親(94歳)を見ていて、「品格ある形での応じ方とは、一体どういうものか」とふと考えてみたり、自分自身に言って聞かせたりしています。
BLOG:北尾吉孝日記
Twitter:北尾吉孝 (@yoshitaka_kitao)
facebook:北尾吉孝(SBIホールディングス)