川淵さんいいね!消えろ、スポーツ原理主義の司祭たち

秋月 涼佑

川淵氏「500円がどう悪いのか説明してくれよ」日本高野連を猛烈批判(サンスポ)

本サイトの新田編集長も呼応して、記事をあげている。

川淵さんの檄に呼応せよ!“明治脳”の高野連を平成のうちに解体せよ

川淵氏著書「黙ってられるか 」(新潮新書)より:編集部

スポーツ競技団体の人々は、概ね“非常識”

広告業界で仕事をしていると、存外にスポーツ競技団体関係者と仕事をすることが多い。

主にクライアントの協賛活動に関係してだが、大きなスポンサー協賛ともなれば年間を通じてである。

さて、多くのスポーツ競技団体の人々と接していると、社会人としては際立って特異な人々であることにすぐ気が付かされる。選手経験や学校関係や地域での活動のみをバックボーンとしている故の、ビジネス経験の乏しさから来ると考えられるのだが、全くビジネス的な常識がないのである。

“常識がない”というと非難がましいが、ビジネスとして接しているこちらが困るだけで、恐らく彼ら自身はまったく痛痒を感じていないはずだ。なぜなら、彼らの世界は普段それで回っていて何も困らないからだ。

日本高野連とは直接のお付き合いがないのだが、どんな組織かはおおよその想像がつく。

そもそもなんで丸坊主?

私自身、高校野球については普段一切観ない。理由はあの丸坊主である。

軍国主義に由来するのだろうか?合理的理由が全く思いつかない。

関係者は”動きやすい”とか”衛生的”だとかという詭弁を弄するのだろが、メジャーリーガーにあんなファンキーな髪形がいないことを見れば、野球に一番適した髪形である訳がないし、丸坊主でなければ”衛生”が保てないという事であれば、全人類が丸坊主にすべきだろう。(確か刑務所はこのような髪形だった気がするが、高校球児全員が刑務所カットというのもグロテスクな話ではないだろうか。)

まして高校球児が、唯々諾々と一様にあの髪形で恭順している姿勢に非常に違和感を覚えてしまう。

私の学生時代はというと、野球部の活動に参加しないという非積極的な抵抗者でしかなかったので偉そうなことは言えないのだが、高校生というオシャレ気分が芽生える頃に、いかにも従順でダサい格好をしている性分というのは、そんなに褒められたものなのだろうか。

少なくとも、元エリート高校球児からプロ野球に進んだ面々の、全てではないが結構な数での”不品行”を見るにつけ、あの坊主頭に、明確な精神修養や人格形成に対する効用がないことだけは明らかだ。

川淵チェアマン時代のJリーグは、確かに”オシャレ”好きが多かった

1991年に川淵氏がJリーグチェアマンに就任し、スポーツ界では先駆的な多くの改革をしたことは、もはや歴史的事実だ。(Jリーグが現在組織として完璧かというとそれはそれで文句もあるのだが、話がややこしくなるのでそれは置いておく。)

現象面で見ても、川淵チェアマン時代のJリーグ選手はオシャレでハツラツとしていた。引退後にテレビキャスターなど芸能界で活躍している人も多く、いつぞやテレビで紹介していた武田修宏さんのワードローブなど本当に見物だった。高校サッカーについてもあまり詳しいわけではないが、少なくとも”丸坊主”集団のような異様な雰囲気は感じない。

川淵さんは革命家

日経新聞に連載された「私の履歴書」でも感じたのだが、川淵さんは日本人には珍しい革命家的な気質を持った人だと思う。大きな理念を立ち上げて、どんな周囲との軋轢があってもぶれることがない。

1991年、Jリーグ創設発表記者会見(首相官邸サイトより:編集部)

Jリーグ改革においても“Jリーグ百年構想”(サッカーを通してあらゆるスポーツを老若男女が楽しめる豊かな国を目指すというもの)をぶち上げ、曲げることがなかった。だからこそ、以降スポーツ界という非常に面倒なくさい世界の改革を委嘱され、82歳となった現在も日本トップリーグ連携機構の代表理事会長を務められているのだろう。

そして何より川淵氏のリーダーシップに対し、今現在も多くの人がついていく理由は、その理念が合理的かつ人間的なものであるからだ。Jリーグ百年構想というアジェンダも、今もって非常に良く出来ている。その理念の根本にあるものは、誰もが広くそのスポーツに参加できるというエリート主義の真逆を行く非常にリベラルなものである。

もうひとつ川淵氏の来歴を見ていてわかるのは、川淵氏自身がアスリートとしても一流であるということ。選手として極めてストイックでタフと言えたであろう。

ストイシズムというのは、自分で究めることは結構な話なのだが、他人に強制するものではない。川淵氏の理念には、ストイシズムの押し付けがましさは無く、老若男女が参加しやすいスポーツ賛歌の気風を常に感じられる。全豪オープン優勝・世界ランキング1位になった大坂なおみさんの人となりからも感じることであるが、一流選手であればあるほど、厳しさの向かうベクトルは常に自分であり、他者には非常に寛容である。

日本高野連執行部の発想は真逆である。彼らの有り様は、他者に不合理なストイシズムを押し付け、自分たちの勝手な教義に基づく規制を強制する点で、宗教的原理主義者の司祭に似ている。

彼らは自分たちの偏狭な妄念や権威を、他者の人権や笑顔より優先する人々である。

今回の川淵さんの主張に関しては、動機は至極常識的で、人情にかなっている。

彼が改革してきた多くのスポーツ団体と同じように、高校野球の世界からもスポーツ原理主義の司祭達が居なくなる日が来るよう応援したいものである。

秋月 涼佑(あきづき りょうすけ)
大手広告代理店で外資系クライアント等を担当。現在、独立してブランドプロデューサーとして活動中。