現代人はなぜ、せっかちなのか?

パソコンやスマホでネットを見る際になかなか画面が上がってこなくてイライラしたことがある人は多いのではないでしょうか?あるいは、電車に乗ろうとしたら駅のアナウンスで「5分遅れです」と聞いた瞬間に舌打ちをしている人もいるでしょう。我々はなぜ、我慢できなくなったのでしょうか?

写真AC:編集部

日本人は几帳面な性格といわれています。これは言い換えれば決められたことは決められた通りに実行されないといけない、というインプットが気持ちの中に組み込まれるとも言えます。例えば新幹線の運行は1分の狂いもなく、世界に誇る正確性がある、と我々は自負しています。JRの職員だけではありません。顧客がそう信じているのです。そのため、トラブルで数分遅れるだけで気分を害します。社内アナウンスでたかが数分の遅れでなぜこれほど謝っているのか、と疑問を持つ外国人は多いでしょう。しかし、1分と違わないことに慣れると許容範囲はうんと狭まるというトリックがそこに存在します。

飛行機、特に国際線の運航時間の正確性は航空会社の評価の重要なポイントであります。最近は多くのケースで時間通り運行、ないし、早めの到着が多くなっています。なぜでしょうか?もちろん、航空会社の様々な努力もあります。が、運航スケジュールそのものにバッファー(ゆとり)があるのです。飛行機は安定飛行に入ると気流を別にすればスケジュールに影響することは少ないのですが、離着陸に思わぬ時間を食う時があります。それはその時次第ですし、飛行場によっても混雑具合は変わります。それをスケジュールの中でうまく吸収できるようにして結果として定刻運航をしていると見せています。

このように日本人がせっかちになったのは一つには日本人の正確無比という面が根本的にあると考えています。

次いで時代の要請があると思います。実は私はケチなんです。お財布というより時間にケチなんです。90年代から00年代にかけて「効率化」ということが叫ばれました。私は社会人として当然、その洗礼をうけます。そして、パソコンが社会に普及した時期と重なります。世はバブル崩壊後、もがき苦しんでいる中、会社ではリストラと称し、人減らしはごく普通に行われました。

これは時間が無限にあると勘違いするような時代からこの日、この時間をどう過ごすのか、という自己啓発をさせたのであります。本田健氏の「〇〇代にしておきたいこと」はずいぶん売れた本だと思いますが、彼は10年スパンによる人生の一定目標を設定してくれたのです。あるいは、「時間術」の本が当時無数に出ましたが、これも世の中の趨勢であったのです。

私の学生時代、雀荘がなくなり始めました。それは時間がかかり、それこそエンドレスでやるゲームに「馬鹿々々しい」と思い始めたからです。パチンコも同じです。ともに時間が掛かることは現代人は嫌なのです。

私は会社員なりたてで社会人ゴルフをさせられました。理由は上司の送り迎え、運転手役だからです。朝4時に東京の家を出て、横浜の上司の家に行き、一緒に栃木のゴルフ場で8時から接待プレーをし、終わって風呂に入り、お客さんと「いやいや、お疲れ様」といって皆さんがビールを飲んでいるのを横目にコーラで満たし、そのあと、また逆コースで家に帰ると夜8時。ふざけんじゃない、と思いましたよ。今ならさしずめ、「ゴルフハラスメント」と言われるのでしょう。

お金がない時代、私が自由になるもの、これは24時間の使い方しかない、と思い始めたのは我々の世代が育った社会的背景が強烈に背中を押している、とも言えます。では、せっかちになって、24時間をどう過ごすのか、これは人それぞれです。睡眠時間を除き、どれだけ、充実した生活をしているかは個人差があります。

電車に乗ってもかつてほどぼーっとしていたり、寝ている人は減ったように感じます。。カナダでもオフィスのエレベーターに乗るとほとんどの人はスマホをいじっています。10秒足らずの時間を惜しむようになっているのです。

現代人はせっかちなのか、といえば確かにそう見えるのですが、人間、怠惰になることもあります。友人ととりとめのない話をすることもあるでしょう。私なんか、1日一歩も外に出ず、本を読み続けることもしばしばあります。かつては最短時間で最大リターンを求めるフィットネスの効率化などと考えたこともありましたが、最近はスポーツ自転車で2時間ぐらいカッとんでくることも増えました。

時間を独り占めできるようになった現代社会がわがままを生んだ、とも言えそうです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年2月3日の記事より転載させていただきました。