第9条の長所短所を認め合うことが議論の出発点

SNSで他人の投稿やツイートにコメントすると、それに対してたくさんの「いいね」などがいただけて気持ちいいことがある。

最近、産経新聞の阿比留瑠偉さんのタイムラインに、

日教組は「教え子を再び戦場に送るな」といいますが、現在の危機に鑑みて「日本を再び戦場にするな」というべきだと愚考します。戦争は、日本が仕掛けるから起きるというものではないのは当たり前のことなのですが…。

という投稿があったので、以下のようなコメントをした。

右も左も第9条は、日本が海外に派兵しないようにするのには役立つが、日本が侵略を受けないようにするには害があるという単純なことをコンセンサスとし、そのように学校でも教えれることを提案します。

そうしたところ多くの人が「いいね」をくれた。第9条にもいいところがあるという趣旨だから、保守系のフォロワーには受けないかと思っていただのが、そうでもなかった。

2015年に各地で吹き荒れたデモの嵐(共産党埼玉県委員会サイトより:編集部)

世の中、何事にも、メリットとデメリットがある。結論として賛成でも反対でも、両方の側面を冷静に考えてのうえでなくてはならない。

ところが、それが嫌な人がいるから困る。とくに、日本人はその傾向が割に強いと思う。論理性より情緒性を重んじるので、メリットはこれで、デメリットはこうだ。比較考量してこっちを選ぶというが嫌で、採用しない選択肢はメリットなしにしておきたいらしい。

百田尚樹氏や井沢元彦氏チックにいえば、『言霊主義』で、口に出したら本当になること困るので、心配な要素は考えない、いわない、議論しないことにしたいのかもしれない。

第9条についていえば、間違いなく、外国の戦争に巻き込まれる可能性は減らすだろう。勇ましすぎる政治家の手を縛っておけばいいというのは、1947年におけるひとつの合理性が高い判断だった。

しかし、外国の侵略を受けない防御になるかといえば、まず、ありえない。平和を愛して無抵抗だから攻撃するのは憚られるということも絶対にありえないわけではない。いってみれば、現金の札束を透明な袋に入れて歩いたらそれを盗るのは目立ちすぎるからやめとこうとか、治安の悪い夜道を美しい女性が露出度の高い服装で歩いたら、暴漢に襲われたりしかねないのを排除できないわけで、普通は危険な行為だ。

とはいえ、いまのところ「第9条があるから攻められていない」というかもしれないが、それは日米安保があるからだ。しかし、アメリカがそのくらいでは動かないとみると、竹島を占拠したり、尖閣諸島を狙われたりされているではないか。

拉致でも日本が奪還のために攻撃などしてこないと思うから行われたのだし、人質をとって身代金を要求されるのも同じ理由だ。

憲法論争も、この単純な、「日本が海外に派兵しないようにするのには役立つが、日本が侵略を受けないようにするには害がある」ということをまず認め、そのうえで、互いに議論を深めたら、堂々巡りにならず、収斂していくはずだろう。

これは、別に第9条だけでない、あらゆる政治的争点は、相手の議論にも一理あると認め合うことで健全に民主主義が機能し始めるはず。政治問題以外についても同様だ。