元『噂の眞相』の編集長の岡留安則さんが1月31日に亡くなった。享年71歳。右上葉肺がんだった。突然のことで驚いている。合掌。
親子3代に渡り自民党に一度も入れたことのない家庭で育った私が、大学時代に愛読していたのは『世界』『週刊金曜日』『宝島30』『ホットドッグ・プレス』『ポパイ』そして『噂の眞相』だった。まるで、全共闘世代の学生の愛読書が『朝日ジャーナル』と『平凡パンチ』だったように、なかなかナイスな振れ幅だった。
私は『噂の眞相』を、大学に入学した1993年から読み始め、2004年春の休刊まで読み続けた。世は混迷を極めていたし、97年からは社畜ライフが始まったわけだが、『噂の眞相』は私にとって生きがいの一つだった。
扉の著名人男女のヌードイラストには正直ひいたが、誌面は反権力的な過激なスキャンダリズムに満ちており、エネルギーを感じた。政治・経済から芸能まで、さらには皇室や宗教関連まで、どんなものにでも絡んでいくパワーがみなぎっていた。
一方、ページのそでにある「一行情報」も楽しみだった。噂レベルのことを書きまくるという。しかし、それがのちに特集に発展したり、他メディアも含めスキャンダルとして大々的に報じられることもあったので、バカにできない。
ナンシー関、田中康夫、中森明夫、荒木経惟などによる連載も楽しみだった。最後の編集長日記は左右問わず幅広い編集長の交友関係が伝わるものだった。「会いに行ける左翼」という私のスタンスに影響を与えている。
同誌が報じるスキャンダルは、今で言うと「文春砲」のようなものだが、それとは異なると私は解釈している。文春砲も時に政治家や企業家に炸裂するが、芸能などに寄っていると私は解釈している。『噂の眞相』は徹底的な反権力的スキャンダリズムという旗を高く掲げていた。
ゴールデン街で飲み歩いていたら、いつか岡留さんに会えると信じていたが、叶わなかった。岡留さんはこの世を去ったし、私も酒をやめてしまった。
今も本棚の取りやすい位置にある『噂の眞相』の最終号の表紙にはこんなコメントが載っている。
『噂の眞相』は休刊すれど、『噂眞』イズムは永遠に不滅なり!
一物書きとして岡留イズム、噂眞イズムを継承していくつもりだ。最近、怒りの炎の滾りが足りなくなっていたことを猛反省した。日本のジャーナリズムにも最近、噂眞イズムが足りない。今の日本には、岡留安則が足りない。
岡留さん、ありがとう!私も頑張る。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2019年2月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。