競争なくして成長なし、競争あっても成長なし

公正取引委員会の杉本和行委員長は、2018年の再任時の所感において、「事業者が自由かつ公正な競争環境の下で創意工夫を発揮していけるようにすることが、経済の発展の基盤を提供すると考えている」と述べている。つまり、競争なくして成長なしということである。

論理学的にいえば、競争なくして成長なしが正しいとしても、競争があれば成長するとは必ずしも限らない。当たり前だが、競争は、資本主義経済体制における経済成長の重要な要因ではあっても、唯一の要因ではないからである。競争が他の要因とうまく連動して初めて、経済成長が実現するわけである。

公正取引委員会にとって、競争は決して単なる競争ではない。それは、競争というよりも、自由かつ公正な取引のことである。もともと、公正な取引が問題なのであって、必ずしも競争的な取引が問題ではないのだ。しかし、取引が公正であるだけでは、経済成長の主因になり得ないことは自明ではなかろうか。

結局、自由かつ公正な取引が損なわれると、経済がもつ本来の成長力が十分に発揮されないというにすぎないのである。つまり、競争なくして成長なしということは、競争があれば成長するという積極的な意味ではなくて、自由かつ公正な取引が経済成長の最低限の条件だというのである。

いうなれば、競争、あるいは公正かつ自由な取引という触媒の働きがなければ、経済成長という化学反応は起きないということである。触媒は、化学反応の主役ではなく、あくまでも、主役が機能するための補助者にすぎない。

では、経済成長の主たる動因は何か。いうまでもなく、よりよい生活がしたいという人間の本能的な物欲のとどまるところを知らない増殖である。しかし、この日本国に暮らしていると、物欲にも成長の限界があることに思い至る。

あるいは、資本の自己増殖こそが資本主義経済の成長の動力であろうか。しかし、資本蓄積につれて資本利潤率の低下は免れず、どこかで資本利潤がなくなるときがくる。これが恐慌であり、ここで資本の自己増殖は終わり、資本主義は死を迎えて、革命が起こる。これがマルクスの予測であったのだが、予測ははずれて、資本主義体制は、福祉国家路線等の巧みな軌道修正によって、生き永らえている。しかし、それとても、日本についていえば、資本の過剰蓄積の極、資本利潤率の低迷は超長期間定着しているわけで、資本主義は半死状態になっているのである。

そこで、革新こそが経済成長の主役であるということになる。革新なくして成長なし、では革新があれば成長するのか。また、競争、あるいは自由かつ公正な取引が革新を生むとでもいうのか。革新は、いかにして起きるのか。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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