今月24日に実施される予定の沖縄県の県民投票のサイトに次の記述がある。
「沖縄県では、普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋立てに対し、県民の意思を的確に反映させることを目的として、 県民投票を実施します。」
だが、「県民の意思を的確に反映させる」といったところで、この投票で沖縄県県民の意思がどのように示されようと、それが国政に反映されることはない。なぜなら、日本国内の米軍基地の存在は日米安保条約という国と国との約束に基づくものだからだ。
目下、国内では韓国の大法院が昨年10月末に出した、いわゆる元徴用工訴訟の日本の民間企業に賠償を求める判決に、多くの日本国民が憤っている。なぜかといえば、その判決が日韓基本条約に基づく国家間の約束を反故にする内容だからだ。
韓国憲法は条約と国内法とを同等に扱うらしい(6条1項)。が、日本では官房長官が、条約は国内三権に優先する旨、発言している。従って日本では、「県民の意思」は「県政」には反映できるとしても、条約という「国政」には反映させられない。つまりこの投票は無駄なのだ。
辺野古移設に関する沖縄県の立場について、筆者はもう一つ奇異に感じることがある。それは普天間基地のある宜野湾市と移転先の辺野古のある名護市、すなわち本投票の結果にもろに左右される両市が、共に辺野古への基地移転、つまりこの埋め立てに賛成していることだ。
確かに普天間も辺野古も沖縄県ではある。が、その沖縄県も日本の一都道府県に過ぎない。ならば、米軍基地に関することの民意は日本国民全員に問うべきではないか。あるいは宜野湾市と名護市だけに問うか、そのどちらかであるべきで、沖縄県という単位は明らかに中途半端である。
この種の投票で想起するのは英国のEU離脱投票と昨年台湾で地方選挙と併せて行われた国民投票だ。周知の通り前者は、離脱を間近に控えた今頃になってごたついている。後者では、福島と近県の産物輸入解禁が否決された。共に有権者の無知が露呈した、と筆者は考える。
間接民主主義がなぜ今日の世界に根付いているかといえば、それは国民が自らの能力の限界を賢く弁えているからに他ならない。賢明な国民がさらに優れた選良に政治を託している訳だ。だから無駄な県民投票などお止めなさい。無論、筆者は憲法改正の国民投票にも反対である。
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高橋 克己
年金生活の男性。東アジア近現代史や横須賀生まれゆえ沖縄問題にも関心あり。台湾や南千島の帰属と朝鮮半島問題の淵源である幕末からサンフランシスコまでの条約を勉強中。
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