ショッキングな記事が掲載されていた。今月1日付のスイス日刊紙ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング(略称NZZ)でビルギット・シュミット記者の 「獣医が職種の中で最も頻繁に自殺する」という記事だ。獣医は瀕死の重傷や重病の動物に対して「自分は彼らを助けることができない」といった無力感にとらわれるという。獣医は人間の治療をする医者(Humanmediziner)より5倍多く生き物の死の場に同伴するというのだ。
見出しを読んだ時、信じられなかった。獣医は動物を愛する若者が夢見る職種の一つと考えていたが、現実は常に生き物の死と向き合わなければならない。愛する動物が亡くなった場合、飼い主は泣くが、死の場面に対峙する獣医にとっても同じだというのだ。
若者の夢の仕事と思われている獣医に自殺件数が多いことを裏付ける統計がある。「米獣医医師会」発行のジャーナルに1979年から2015年の間、米国で亡くなった1万1600人の獣医の中で自殺した件数は約400件にもなるという研究報告が発表されていた。ここ数年、獣医の自殺件数が増加傾向にあるという。一般国民の自殺件数は男性が女性より多いが、獣医の場合、女性の獣医の方が自殺しやすいという研究結果が出ている。
シュミット記者が取材した獣医は28年間働いてきたが、その期間に10人の仲間が自殺したというから、米国獣医医師会の統計を聞いても驚かなかった。ある研究報告によると、獣医の自殺件数は他の職種より4倍、多いというのだ。
医者は患者を助けるが同時に、患者の死にも直面する。だから、医者は他の職種よりストレスが多い。特に、獣医の場合、死に瀕し、回復できない動物には安楽のために注射せざる得ない機会が通常の医者より2倍ほど多いというのだ。
愛する動物と別れの準備ができていない飼い主の場合、獣医が愛する動物の命を殺したと受け取るケースも出てくる。また、もはや回復できない状況の生き物を連れてくる飼い主もいる、といった具合だ。その度ごとに、獣医はその動物の生死を決定しなければならない。
ちなみに、獣医の自殺件数が多いのは「彼らは診療室で他の職種の人間より多く動物たちを毒薬や注射で殺してきた経験があるからだ」と厳しい皮肉をいう者さえいるという。
スイス獣医医師会(GST)のオリバー・グラルドン会長は、「獣医の自殺件数の実数はもっと多いだろう。獣医の性格や生活環境によって異なるが、獣医という職種は自殺のリスク要因だ」という。同会長によると、「獣医は同情疲労、共感疲労(compassion Fatigue)に罹りやすい。苦しむ患者と自身を同一すれば、鬱傾向が出てくる」という。獣医だけではなく、動物ハイムの関係者や動物保護者にも同じような傾向があるという。
蛇足だが、動物と人間の関係は昔と比べ変わってきた。離婚した寂しさを忘れるためとか、子供ができないために犬や猫を飼うケースが多くなった。すなわち、動物が好きだからというより、自身の苦しみや痛みから解放されたいために動物を飼うわけだ。その痛みがなくなれば、犬や猫は用なしとして動物ハイムに送られる。また、子供にせがまれクリスマスプレゼントとして猫や犬、ウサギを贈る親がいるが、クリスマスが過ぎ通常の生活に戻れば、動物たちは誰からもケアされず、家族の負担になれば捨てられる、といった話は欧州社会でもよく聞く(「『心的外傷後障害』に悩む犬と猫の話」2018年12月10日参考)。動物を飼う人間の責任は忘れてはならないだろう。
人間の患者は自身の痛みや症状を説明できるが、犬や猫は喋らない。だから獣医は飼い主の話を聞いて治療するから、人間医よりその命を左右する立場に置かれる。外科から内科、時には心療治療まで担当するからその責任は大きい。その重みに獣医は耐えられなくなるのだろうか。獣医の自殺件数が多いというNZZのニュースは動物を愛する人にとってもやはりショッキングな話だ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年2月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。