児童虐待防止へ、法改正より「着実な一歩」を --- 丸山 貴大

自民、公明両党の政調会長は平成31年2月17日のNHK番組で、今国会で児童虐待防止のための法改正を目指す考えを明らかにした。「しつけ」の名を借りた親による体罰を禁止する法整備などが念頭にあるとみられる。

自民の岸田文雄氏と公明の石田祝稔氏(両氏の公式Facebookより:編集部)

法律に何らかの禁止事項を明記し、罰則を設けたところで、その行為に各人が及ばぬわけでは決してないことは自明のことだ。畢竟、たとえ法律で禁止したとしてもその行為が撲滅されるわけではないということだ。

法律は言わば強制力を伴うルールであり、罰を与える道具だ。故に各人の行為を直接的に制御できる魔法の道具ではない。もしそれができれば世界から戦争はとっくになくなっているだろう。

確かに、法整備による一定の抑止力は見込めるだろう。しかし、極刑が死刑である我が国において、それに該当する行為に手を染める人がいることを鑑みると、抑止力そのものに疑問を禁じ得ない。

その上で「体罰」は「いじめ」や「万引き」同様、それらは刑法に抵触する一部の行為の総称として用いられる節がある。つまり、体罰とは暴行罪又は傷害(致死)罪に該当すると考える。故に現行法で処罰可能ではないだろうか。

体罰禁止という法整備を行うだけでアリバイ作りをし、そのことに飽き足りしてはならない。また、この種の最大の問題は行政各位の法律の運用及び執行方法であり、その欠陥を補うことが立法府に求められていよう。

その際、行政の権限強化が声高に叫ばれ、そこに向けてひた走るような偏りは非常に危険だ。一方には人権が存在し、行政はその狭間で葛藤しているのだろう。一時の感情論により、物事の二面性を見失うことには危惧を覚える。つまり、そこにおける抑制と均衡を重視した制度の構築が必要だ。全ては結果論であろうが、その過程を軽視することは権力の乱用及び権力の暴走に繋がりかねない。

いじめやそれによる自殺、虐待、体罰等同じような事件が繰り返される今日、対策に限界があることは確かだ。その上で一件一件決め細やか且つ適切な対応を講じることは至難の業と言わざるを得ない。現場の実態を詳細に知らない部外者が斯く言う私のように口先だけであれこれ意見を言うことは実に容易なことだ。それは直接的には責務を負わぬ者故に成せることであろう。

そのことは正論であり、だからこそ虚無感に苛まれる今日この頃だが、それらを解決する歩みを決して止めてよいというわけではない。社会に渦巻く不公平、不条理、矛盾、葛藤等答え無き世界で生きている以上、逃げずに向き合わねばならぬ命題である。そこには特効薬や絶対的な解決方法は存在しない。地道にこつこつと試行錯誤しながら理性的に対処していく他ない。

故に各事案のアセスメントでは、誰かを責めるよりかは、未来思考に基づく解決方法を模索することが望ましいと考える。何もかもを批判するのではなく、将来に向けた創造者であることにより、今後の解決への糸口を多少なりとも見出だすことに繋がるのではないだろうか。

その最たる当事者である公務員各位は「全体の奉仕者として公共の利益のために勤務」(「地方公務員法」第30条)する公僕であることを深く自覚し、現場の声を当事者として積極的に発信してほしい。そしてそれらを丁寧にすくい上げ、現状改善に取り組むことを切に願う。

丸山 貴大 大学生
1998年(平成10年)埼玉県さいたま市生まれ。幼少期、警察官になりたく、社会のことに関心を持つようになる。高校1年生の冬、小学校の先生が衆院選に出馬したことを契機に、政治に興味を持つ。主たる関心事は、憲法、安全保障である。