日本政府は慰安婦問題で韓国に「謝罪」していない

天皇に謝罪を求めた韓国の文喜相国会議長の発言が話題を呼んでいるが、基本的な事実認識にずれがある。彼は2015年の慰安婦合意について「それは法的な謝罪だ。国家間での謝罪はあるが、問題は被害者がいることだ」というが、日本政府は「法的な謝罪」も「国家間での謝罪」もしていない。このときの記者発表で日本側(岸田外相)は次のように述べた。

慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。

このとき日本政府が「責任を痛感」して「おわび」したのは「軍の関与」である。軍の管理した慰安婦はいたが、公権力による強制連行という「慰安婦問題」は存在しない。このとき約束した10億円は、韓国の「和解・癒やし財団」に対する拠出金であって賠償ではない。

文議長(公式HP)と慰安婦「談話」を出した河野官房長官、村山首相(当時、政府サイト)=編集部

1993年の河野談話で「本人たちの意思に反して集められた」とか「官憲等が直接これに加担した」という表現が問題になったが、このときも強制連行に謝罪はしていない。その後の村山談話にも、韓国に対する謝罪はない。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。

日本の首相が「植民地支配」についてのおわびを表明したのはこのときだけだが、これも「アジア諸国」に対する一般論で、韓国に対する謝罪ではない。村山内閣で決まった「アジア女性基金」も民間の基金であり、日本政府はそれに資金を出しただけだ。

外務省は一貫して「謝罪」という言葉を避け、「お詫び」という言葉を使ってきたが、どっちも英語に訳したらapologyなので、これを韓国政府は「日本政府は慰安婦問題で謝罪した」と世界に宣伝した。

日本政府は、玉虫色の約束の実効性をカネで担保しようとした。アジア女性基金のときも慰安婦合意のときも「これで最後」という約束だったが、韓国はその後も問題を蒸し返した。日本政府がカネを出したことを韓国は「罪を認めた証拠」として利用した。

このような経緯からわかるのは、韓国には国家としての一貫性がないということだ。政権が代わると前大統領も犯罪者にされ、前の政権の結んだ条約も合意も無視されるのは近代国家では異常だが、儒教文化圏では珍しくない。

中国には、政権を超えた国家という概念がなかった。国という言葉は王朝を意味し、王朝が代わると前の王朝の関係者は皆殺しにされ、宮廷も破壊されるのが「易姓革命」の伝統である。韓国では、大統領の代わるたびに革命が起こっているようなものだ。

これに対して日本の官僚機構は政権を超えた一貫性を過剰に重視し、内閣法制局の法解釈まで同一性を守ろうとするが、それは国内でしか通じない「霞ヶ関文学」の世界である。今回の騒動を教訓にして韓国とは政権を超えた約束はせず、意味不明のカネを出すのはやめるべきだ。