韓国抜きで「終戦宣言」も…朝鮮戦争の発端とソ連の関与を考えた

高橋 克己

米朝首脳会談を翌日に控えた26日の朝鮮日報は「韓国抜きの朝鮮戦争終戦宣言は国恥だ」と題する社説で、韓国大統領府報道官が

「(朝鮮戦争の)終戦宣言が(議題として)入る可能性がある」

「韓国と中国、米国と中国、韓国と北朝鮮は事実上の終戦宣言を行っているので、残ったのは北朝鮮と米国だ」

と述べたことを報じ、

「大統領府がこの会談で終戦宣言が実現する可能性があるとの見方を公にした」

とした。

社説はまた「驚くべきことに大統領府はこの日北朝鮮と米国だけの終戦宣言で十分との見方を示した」として朝鮮戦争で韓国が被った甚大な被害に触れた後、こう結論した。

「それほどの被害を受けた国が、その戦争の終結を宣言する当事者にならなくてもよいと大統領府は本当に考えているのだろうか」

「韓国政府は今からでも韓国抜きの終戦宣言は絶対に認められないとはっきり主張すべきだ」

実に真っ当な論だ。社説はこの報道官談話を「米朝合意によって韓国が除外され、大統領府がこれを後から知り“抜けてもよい”と先に発表したのではないか」とも指摘して手厳しい。韓国にまだこの様な正論が語れる自由な言論空間があると知り少し安堵した次第だ。

韓国や米国がこの戦争で如何に甚大な被害者を出したかは、筆者も21日の投稿で超党派の米国議員が提案した議決案が朝鮮戦争で米韓両国民が多くの血を流した件に触れていることを書いた。我々日本人もこの戦争での米韓の尊い犠牲の上に今日の繁栄があることを忘れてはならないと思う。

ホワイトハウスFB(第1回米朝首脳会談)、Wikipedia(朝鮮戦争)より:編集部

そこで朝鮮戦争について考えてみた。なお、戦争の経過、すなわち国連軍が見る間に半島の片隅まで追いやられたことやその形勢を一気に逆転した仁川上陸、そして中国義勇軍の参戦とその後の膠着などは多くの人口に膾炙するところなので、本稿は戦争の発端と報道官談話に出て来ないソ連に焦点を当てる。

戦争が北朝鮮の突然の南侵で始まったのは今では定説だ。が、当初は南からの北進説が少なからずあった。金学俊元東亜日報社長は「朝鮮戦争(原因・過程・休戦・影響)」(論創社06年刊)で東西の研究書の諸説を分析した上で「ソ連が支援した北朝鮮主導の南侵」と結論し、その根拠として次の二つの資料を挙げている。

  • 朝鮮民族保衛省が50年6月15日付で各師団に下した「偵察命令第一号文書」
  • ソ連軍事顧問団が50年6月22日付で北朝鮮民族保衛省に命じて各師団に下させた「戦闘命令第一号文書」

北朝鮮の金日成が、北越した韓国の左派政党南朝鮮労働党(南労党)の朴憲永と共謀して南北統一を企図し、これを承認したスターリンが支援を約して南に侵攻させ、然る後にスターリンと金日成の呼びかけに呼応して中国が参戦したという訳だ。

ヨシフ・スターリン(Wikipediaより:編集部)

後の戦闘や休戦交渉で核となった中国は計画段階では脇役だったし、米国にも韓国を教唆して南から北を統一するなどという考えはなかったが、韓国の李承晩大統領には南からの半島統一意思があったと書くのはモスクワ関係大学教授のアナトリー・トルクノフだ。

彼は北朝鮮・ソ連・中国の間で遣り取りされた電報からこの戦争を分析した「朝鮮戦争の謎と真実(金日成・スターリン・毛沢東の機密電報による)」(草思社01年刊)で、李承晩が49年9月30日に友人の米国人大学教授に次のように米国の支援を訴えていたことを明かしている。

「北側にいる我が国民が欲しているのは、彼らが行動を起こすことを我々が許すことです。・・我々が行動を開始し、計画を遂行し、必要な全ての物質的支援が提供されることに、黙認ないし賛成するよう米国政府関係者と世論を説得して下さい。・・トルーマン大統領に伝えられるならば、何らかの望ましい成果があると思います。」

トルクノフによれば、スターリンは南を警戒しつつも北からの先制に否定的だったが、南への警戒心は国境を接する金日成の先制動機には十分だったし、朴憲永が金日成に伝えた「北が南侵すれば南労党の同志・シンパ数十万人が蜂起する」との、李承晩の話の180度逆を行くような言説もその動機の一つになったとする(南労党の蜂起はなかった)。

金日成に同意した後も消極的なソ連だったが、トルクノフは「中国革命の成功が、スターリンと金日成の態度を積極的なものに変え、50年4月のモスクワ会談で南への攻撃の同意が得られた」と書いて、中華人民共和国の成立で積極的になったスターリンの、金日成との会談での発言を引いている。

「・・初めに三八度線に部隊を終結し、北が平和統一への発議を行う。ソウルはこれに反対し攻撃を仕掛けるだろう。甕津半島に沿って攻撃を加える発想は良い。どちらが先制攻撃したかを隠蔽できる。南からの反撃の後、前線を広げるチャンスが来る。ただし、・・ソ連の直接参加を当てにすべきでない。アジア情勢によく通じている毛沢東を頼るべきだ。」

これに対して金日成は「・・攻撃は南のパルチザンを助け、パルチザン活動がより激しくなれば、南朝鮮当局に対する蜂起では20万人もの党員が参加する」とスターリンに請け合った。先述の朴憲永の言説を信じていたのだ。

中国についてトルクノフは、「中国共産党は革命を成功させたが、台湾解放が依然残っており、実のところ金日成の朝鮮武力統一には慎重であった。しかし1950年4月のスターリン・金日成会談後頃から中国側の姿勢も変化してゆく」と書き、中国がそれに先立って人民解放軍の朝鮮人部隊を北朝鮮軍に編入したことに触れている。

「(49年4月30日に北朝鮮軍政治総局長)金一は、中国共産党との相互理解と中国人民解放軍の一部である朝鮮人師団(在満洲朝鮮人50万人からの選抜部隊)に関して意見交換のため中国入りした。・・金一は朱徳や周恩来と4回、毛沢東と1回会談した。・・毛は人民解放軍が有する3個朝鮮人師団のうち2個はいつでも派遣できる・・と回答した」

北の南侵前から人民解放軍の朝鮮人部隊の一部(14千名)を義勇軍とは別に北朝鮮軍に編入していたとは驚きだ。が、満洲国の五族協和に朝鮮人が含まれていたことを思えばあり得ることだ。

この戦争でソ連と中国は、前者は後者の成立で積極化し、後者は前者の積極化で積極化するという、互いに相手の様子を伺いシナジーを高めた訳だが、結局、ソ連は最後まで表に出ることはなかった。よって冒頭の韓国報道官の談話にソ連の名がないのは、それはその通りだ。

が、筆者は胸糞が悪い。ソ連が縷説した他にもこの戦争に大きな影響を与えているからだ。それはKGBのスパイ活動に関係している。一つは米国人による活動、他は英国人によるそれだ。

前者は「ヴェノナ文書」(John Earl Haynes & Harvey Klehr)に記述がある。以下に筆者の拙訳を掲げる。

政府の若く優秀な航空学者William Perl は米国のジェット機とジェットエンジンの高度な秘密テストの結果と新しい設計手法をソ連に渡していた。彼の裏切り行為はジェット開発で技術的に先行していた米国をソ連が短期間で凌駕することを助けた。

朝鮮戦争で米軍のリーダーたちは、北朝鮮や共産中国が使うソ連製航空機など米軍機の敵でないと決めてかかり、米空軍が空を席巻すると予想していた。彼らはソ連のMiG-15ジェット戦闘機が米国のプロペラ機のみならず米国の第一世代ジェット機よりも著しく優れていたことに衝撃を受けた。

米国の最新ジェット戦闘機F-86セイバーを早く配置することによってのみ米国はMiG-15の技術的能力に対抗できた。

後者は「The Sword and the Shield」(KGB文書係として秘密ファイルから写し溜めたメモを持ち92年に英国に亡命したVasili Mitrokhinと米国人作家Christopher Andrewの共著、いわゆる「ミトローヒン文書」)の次の一説だ。邦訳は未刊なのでこれも拙訳による。

モスクワにおけるBurgessとMacleanのスパイ活動の影響力は、1950年6月の朝鮮戦争の勃発によって高まった。Macleanの米国課の副官Robert Cecilは後に、Mcleanが提供した文書が「中国と北朝鮮に戦略と交渉上の立ち位置について計り知れないほどの助けになった」と断じた。

BurgessとMacleanはいわゆるCambridge Fiveと呼ばれるCambridge大卒のエリートソ連スパイの一員だ。これではいかに国連軍でも苦戦する。

高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。