How To Live Japanese ー日本人の生き方ー

初めて自分が書いた英語の本をイギリスの出版社より上梓しましたので、ご報告させていただきます。

編集者がつけてくれた題が「How to Live Japanese −日本人の生き方−」。

執筆・校正中にこれを提案された時は、今ひとつ「?」だったのですが、昨年10月の出版以来、Amazonに投稿されたレビューや、イギリスでのサイン会(たいそうなものではなく、とある小学校主催のクリスマス・チャリティー・バザーみたいなところでやりました)などでの反応をみるかぎり、「これでよかったのかな」という気になっています。

話の始まりはイギリスの某出版社からのコンタクト。ロンドン在住のデンマーク人に書かせた「North −スカンディナヴィア人の生き方−」のヒット(2017年)を受けて、柳の下のナントヤラ。2019年はラグビーワールドカップ、2020年はオリンピックだしで、「こんどはジャパンだ」と。

友人の友人の友人を介して私に話がまわってきて、最初は「かくかくしかじかの企画を進めているので、外国人が興味もちそうな日本に関するトピックを100以上リストアップしてほしい。」というおおざっぱというもおろかなリクエストでした。

おこづかい収入に目が眩んで、110あまりのトピックをリストにしておくったところ、「この本、自分で書いてみない?」

幸い、お世話になっている顧問先が(海外M&Aを専門としているわたしにとっては)IPO直前直後の農閑期だったので、約半年ほどの期間、なれない作業にヒーヒーいいながら原稿を書き上げたのでした。

まぬけなことに、これは脱稿後、先行レビューがでてきてから気がついたのですが、この出版社はどちらかといえばニューエイジ系の本を専門にしていて、ヒーリングとかスピリチュアル重視のライフスタイル・アドバイス系の作品を期待していたようす。昨今あちらでも注目されている「Ikigai」とか、「Wabi-Sabi」とか「Kintsugi」などのトピックには入れ込むのですが、社会的または歴史背景重視の私好みのコメンタリーには比較的冷淡。今から思えば大ヒット中KonMariさんのようなものを期待していたようなのですが、それはいささか私にはお門違いというもの。違和感を禁じ得ない向こうの注文もききながら、なんとか自分が書ける・書きたい内容に落とし込み、トピックを取捨選択して最終的な一冊になったというのが正直なところです。

作品中で読者にどれだけアピールできているかわかりませんが、執筆者としての自分の出発点を確立する上で、以下の三つを念頭に置いていました。

第一には自分を出すこと。

もうすでに言い尽くされている観もありますが、いまはネットでしらべれば情報はいくらでもある時代。自分の視点とそこから立脚した考察をはっきりとさせることで基本軸をつくらないと、読者の興味を引き止められません。ウィキペディアのコピペでは、そこに価値が生まれないわけです。

もちろん調子に乗って100以上もリストアップしてしまったトピックの全てに私が精通しているわけではありません。そこで私に知識が欠けている部分にとっては、なぜ私はそれに対してなじみが薄いのかという考察を披露しています(たとえば能楽)。それはそれで今を生きる日本人としての私の視点から捉えた3Dの日本像ということでいいのではないかというのが、私の理屈です。

第二には、常に読者側からの視点を意識すること。

私のまとまりのないキャリア変遷のなかで、1年間のニューヨーク勤務という幕あいがあります。アメリカの投資顧問会社にヘッドハントされ、ニューヨークの本社で社内法務をみていたわけですが、あるとき時間を持て余してセールス(営業)チームのセミナーを冷やかしたことがありました。全米からニューヨークに集結した営業マン・ウーマンたちは、コミッション・ベースで年金や基金に金融商品を売り込んでいるわけですが、彼らのハングリーでアグレッシブな様に腰を抜かすと同時に、セミナー内容の「モーレツ」ぶりにも驚かされました。

セールス・ターゲットのキー・パーソンがメンバーのジムに入り込んで、隣のトレッドミルで走りながらセールスした…なんて武勇談を聴きながら、いちばん印象に残ったのは、セールスの金言、「人は売られることを嫌うが、買うことは好きである。(People hate to be sold, but they love to buy.)」(以前、ここでも披露しました。)

「日本」を海外の人に買ってもらうためには、彼らがなぜ日本に魅せられ、日本にナニを求めているのかを理解するのが基本のキホンです。しかしクール・ジャパンにも代表される、いま「日本」を海外でセールスしている人たちは往々にして、売り手の論理は理解していても、買い手の気持ちには鈍感なケースが多く見られます。

いじめられてばかりのクール・ジャパンを引き合いに出すのは正直なところ気がひけるのですが、もともと生産者を代表している政治家の意図のもとに設立されたファンドに、思考の飛躍を求めるのは困難なのかもしれません。しかし、売り手と買い手を仲介している立ち位置にいる人にこそ、それは求められているはずなのです。

今、海外に向けて日本の本を書くということは、日本を理解することと同じくらい、世界が日本をどう理解しようとしているのかを解明する作業なのです。これを怠ると、ひとりよがりに「日本は素晴らしい」と叫ぶ、最近よく見かける平均年齢の高い集団のそれと変わらなくなってしまいます。

第三は、第二の点から継がるものですが、日本と海外とをつなげる共通の価値観を意識するということです。

海外の人が「日本」に魅せられ、「日本」を求める気持ちの裏には、その根底に共通したテーマがあります。それはユヴァル・ノア・ハラリがベストセラー「ホモ・デウス」の冒頭でも述べている、「幸福への飢餓感」がベースになっているとわたしは考えます。

今、先進国に住む人々は、総じて歴史的に高い生活水準を享受しているものの、世界を席巻する消費者経済とマスメディアが押し付ける価値観の下で、漠然とした不安と不満を抱えながら生活しています。そうしたなかで、ひとりひとりが「自分のもの」とよべる幸福を渇望し、それへのヒントを異文化の中に求めているのです。

日本の「わびさび」の伝統や、その美意識、価値観は、そうした心の渇きを潤す触媒として評価されています。そして日本において「茶道」がなぜ興隆したのかという歴史をひもとけば、その黎明期においては日本にも同様の「心の渇き」があったことに気がつくのです。日本のマンガやアニメが海外で高い人気を誇るのも、それがハリウッド的なエンターティメントでは届かない、人々の想像の世界の一隅を刺激するからだとわたしは考えています。

おかげさまで、オリジナルの英語バージョンの10月の出版に先立って、昨年夏のヨーロッパの書籍見本市に出品したところ、多方から引き合いをいただき、現在までにドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、ポーランド語、ハンガリー語、エストニア語と、8か国語に翻訳され、ありがたくもご好評をいただいているようです。

本の中で日本のテレビメディア批判をしてしまいましたし、「〇〇さん絶賛」なんて本のオビ・キャンペーンをはれるシロモノではないので、日本でのヒットはほぼありえませんが、外国人のおともだちで「日本についてもうちょっと知りたい」という方に薦めていただくことをご検討いただければ、著者として望外の喜びです。