民主主義に内在する危険:韓国も英国もおそらく日本も

松川 るい

民主主義について読書感想文のようなものを書く機会がありましたので共有させてください。長谷川三千子「民主主義とは何なのか」と塩野七生「ギリシア人の物語」を読んで考えたことです。いずれも素晴らしい本でした。長谷川氏の方は文春新書で塩野七生の本ほど分厚くありませんから、お時間ない方でも一読をお勧めします。個人的には、日韓関係や英国のEU離脱やトランプ現象についても理解が深まりました。

首相官邸サイトより:編集部

民主主義に内在する危険:韓国も英国もおそらく日本も

自由と民主主義、というのはこれまで、セット販売の先進的価値・制度として多くの人々が目指すべきものという自明の原理と考えられてきた。

しかし、今や、「自由」の方はともかく、「民主主義」については、「エリート集団独裁」の中国の劇的台頭(「もしかしたら、非効率な民主主義よりも中国のシステムの方が優れているのではないか」という疑念)、民主主義発祥の地である欧州及び米国における社会の分断や「過激」政党の躍進、我が国においても余り本質的でも生産的でもない議論が繰り広げられる国会に対する国民の不満など、「民主主義というのは、それほど自明に素晴らしい原理・制度なのだろうか」という疑問はかつてないほど高まっている。

長谷川三千子「民主主義とは何なのか」と塩野七生「ギリシア人の物語」は、その疑問に一定の解又は一定の見方を与えてくれた。

長谷川曰く、本家本元のヨーロッパにおいて、民主主義はもともと「いかがわしい」とされていたものであった。フランス革命そのものの中に嫌悪と警戒を引き起こす要素があった。革命を批判する側が、「あれは制約のないデモクラシーである」というぐあいに。民主主義がプラスの印象に変わったのは、第一次世界大戦からであり、それは、要するに戦勝国が「たまたま」使っていた原理が民主主義だったからにすぎない、とのこと。

ウィンストン・チャーチル(Wikipediaより:編集部)

それでは、チャーチルの言う「民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」という言葉を一体どう理解すればよいのだろうか。

チャーチルも、長谷川も、塩野七生も、多くの点において、特にある一点において、同じことを言っていると思う。それは、民主主義は、その本質として、期待されるように機能することは極めて困難なものであり、民主主義が機能するためには、民主主義に内在する危険性を自覚して、常に、その危険に陥らないように、公正さ、謙虚さを持たねばならないということだ。

民主主義には、不可避的に、暴力的側面、理性を失わせる側面、国家の指導者をその能力ゆえではなく能力がありすぎる故に引きずり下ろすことになるという側面があるということを、選ばれる側の政治家だけでなく、有権者たる一般国民が自覚しなければならないと強く感じた。

1.フランスと英国に見えるヒント:制約なき国民主権の問題

なぜイギリスの民主主義が権利章典に代表されるように比較的穏健に成立、発展したのに対し、それを手本として始めたはずのフランス革命は、ロベスピエールの恐怖政治、ヴァンデ地方の虐殺のように、抑制されない暴民の支配になってしまったのか。

恐怖政治を行い、革命反対派などの人物を次々と処刑したロベスピエール(Wikipediaより:編集部)

民主主義の中心的理念の一つである「国民主権」が鍵となる。民主主義は「大衆」を「最高権力者」とする(国民主権)ゆえに、暴力的とならざるを得ない要素を内在している。特に、フランス革命時のように「国民の意思」を縛るものは「法」も含め何もないという考えになると、民衆が熱狂し、何かを求めればそれを押しとどめることはとても難しい。

たとえば、ヒトラーはそれを意図的に利用した。フランスは、仏革命から60年後にはパリ・コンミューンという社会共産主義を産むことにもなった。ヒトラーのナチズムもファシズムも共産主義も、元は民主主義から出自する。

いずれも、民衆の熱狂という「抑制のないデモクラシー」から生まれたものである。第一次大戦もいずれの関係国も欲しなかったにも関わらず、民衆の熱狂により生まれた戦争と言われる。長谷川は、「国民主権は闘争的な概念。国民主権の原理は、国民に理性を働かせないシステム。」と手厳しい。

他方、英国の民主主義は、その由来からして、伝統や土着の慣習法の制約を受けるという抑制と均衡の前提の下で成り立った。国民主権も然りである。英国は、もともと王はフランスなど外来から来て、土着の領主たちと共存しなければならない関係にあり、両者の関係を「均衡」させることこそが政治であった。バランス・オブ・パワーは国際政治だけでなく11世紀の英国国内の政治原則でもあった。

その英国において、EU離脱の住民投票を行ったことは、大きな間違いであったと思う。英国の民主主義は、大衆の熱狂や感情に任せることを本来良しとしていなかったはずなのに、それをやってしまったわけである。

英国人ではないので、こんなことを言うのはなんだが、英国のEU離脱は英国にとって良いところは殆どない。しかし、そのような国益を損なう選択を英国はしてしまった。なぜか、それは、本来の英国式の謙虚で抑制的な民主主義を働かせなかったからなのだ。あのような重大な決定を十分な説明や理解が浸透しない中で、野放図に「国民投票」という大衆の感情に任せたのは実に英国的でなかったといえよう。

2.日本と韓国

朴槿恵前大統領(韓国大統領府公式サイトより:編集部)

韓国は明らかにフランス型なのだろう。大統領は安寧にその末期を終えたことがない。パククネ大統領は未だに牢獄の中だ。そして、世論(国民情緒法)が最高法規であり、明らかに法や合意を軽視している。

慰安婦合意や日韓請求権協定を反古にしても平気なのは、そして、前政権に連なる人々を最高裁判所長官までどう考えても法的に無理がありそうなパージをして平気なのは、そもそものあるべき民主主義のかたちが全く日本と異なるからだ。大衆の熱気や感情に身を任せる政治といえる。そして、それこそが民主主義だと思っている。

逆に日本は英国型である。少なくとも自民党政権下では。日韓の相互理解が難しいのは、見たい歴史が違うということに加え、民主主義についての在りようが全く違うところにもあるのだろう。

3.自民党と左派野党の憲法観が異なる理由

自民党と共産党や立憲民主党といった左派野党の憲法観がずれる理由も、今回、英仏の民主主義の違いを勉強してみて少しわかった。左派野党は、政府とか国家というものは本質的で悪であり、それを制限するために憲法があると考える。それこそが立憲主義だというのだ。実にフランス(革命)的である。

フランス革命の指導者、エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス(Wikipediaより:編集部)

当時、フランスに憲法がないことを残念がったフランス革命指導者シェイスは、しかし、「イギリス憲法においては貴族と庶民とが敵対関係にあるとは考えられていない」ことを英国憲法の短所と捉えていた。民主主義について、一つの共同体の内側に、常に上限の対立を見出し、上に立つものを倒さねばならないとするイデオロギーなのだ。

他方、自民党は英国的である。英国では、王と土着領主は均衡しながら共存するのであり、王(政府)の存在は、民衆(国民)と対立すべきものではない。英国の古来の憲法を明文化した「権利章典」は、「ウェストミンスタに召集された僧俗の貴族及び庶民によって作成され宣言されたもの」と強調され、一つの「幸福な共同体」の健全な政治運営を目指している。自民党も、政府や国家を個人と対置させて悪だと捉えていない。だから、憲法には日本の「国のかたち」や共同体としての理想を書くべきだと考えるのだ。

4.「人々は指導者を求める。しかしなお、指導者を恐れる。」

民衆は、指導者を求めるくせに、その指導者が強力になれば必ずこれを悪玉にして引きずり降ろそうとするという性癖があり、これは、民主主義に内在するもう一つの性格であるとの長谷川氏の指摘に膝をうった。曰く、「アテナイの市民たちは、何かしらの失意に自己確認の必要を感じるたびに「僭主」を見つけ出し、彼を血祭に挙げる」。

アテナイで有名な葬送演説をするペリクレスを描いた絵(Wikipediaより:編集部)

アテネでさえ善政のリーダーを何度も追放したり、失脚させたりしている。それもつまらない理由で。塩野七生のギリシア人の物語にも、「形は民主政でも実際に統治するのはただ一人」と言われようが意に介さず、アテネの黄金時代を築いたペリクレスが、強大になりすぎたと民衆が感じるやその地位を追われそうになる。

ペロポネソス戦役においてシラクサに遠征中のアテネ軍の司令官である「ストラテゴス」(大統領のような政治リーダー)のアルキビアテスは、神々の像の頭が切り落とされる事件の犯人ではないかという疑惑のせいで、戦闘の最中にアテネに呼び戻されたなど、枚挙にいとまがない。たとえば、戦争中の司令官を犯罪の容疑で呼び戻すということはローマ帝国ではありえなかった。

そういえば、現在まさに「歴史的な」米朝首脳会談中のトランプ大統領は、自国の国会において、ロシアゲートでつるし上げられている。米朝会談がうまくいかなくなっても良いのだろうか。安倍総理がプーチン大統領との山口における首脳会談に臨む当日の前夜に国会では野党が内閣不信任決議を出して夜中まで総理を拘束していた。これも、民主主義の中に内在する強すぎるリーダーを引きずり下ろす性癖の表れなのだろうか。

5.民主主義が機能するためには

結局、民主主義が期待されるように機能するためには、謙虚さ、公正さに対する感性が必要だということなのだと思う。英国式に言えば、コモンセンス(良識)とか伝統、慣習に対する敬意である。まだまだ、勉強しなければならないが、これまで当たり前だと思って考えずに受け入れてきた様々な価値や制度もその本質について掘り下げて考えるという精神態度でなければならないと改めて考えさせられた。


編集部より:このブログは参議院議員、松川るい氏の公式ブログ 2019年2月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、「松川るいが行く!」をご覧ください。