北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は5日未明、平壌に帰国した。途中、中国の北京を訪ねて習近平国家主席に会って、トランプ米大統領との第2回米朝首脳会談の経過を報告し、その後の対策を話し合うのではないかという情報が流れていたが、金正恩氏を乗せた特別列車は最短距離で平壌に戻ったわけだ。
当然だろう、平壌を先月23日に出発し、ハノイ入りすると直ぐに27、28日両日米朝首脳会談、その後ベトナム国賓訪問と公務が重なり、さすがの金正恩氏にも疲労が溜まっていたこともあるが、それ以上に「10日間以上留守した平壌」が心配で早く戻りたかったからだ。習近平国家主席には後日でも報告できるが、留守中に何か起きていたら大変だ、という思いだ。賢明な読者ならば金正恩氏が何を恐れているかお分かりだろう。独裁者には振り落としたくてもできない「恐れ」が常にあるのだ。
さて、第2回米朝首脳会談が大方の予想に反し、共同宣言も合意文書も締結されずに終わったことから、「トランプ氏の得意のディールは失敗した」とか、「2日目の会談後、金正恩氏は初日の笑顔は消え、機嫌が悪い表情で会場のホテルから飛び出していった」といった情報が流れ、「米朝首脳会談は決裂した」という結論が下された。共同宣言も合意文書の締結もなかったという意味では「会議は決裂した」という判断は大きく外れてはいない。
それではなぜハノイ会議は決裂したかだ。これまでの情報を総括すると、トランプ氏は寧辺の核関連施設の破棄だけではなく、それ以外の核関連施設の破棄を要求、一方、金正恩氏は寧辺の核関連施設の破棄と引き換えに、2016年以降施行された対北制裁の解除を求めた。双方の要求は折り合わずに会議は決裂したというわけだ。首脳会談前に囁かれてきた「終戦宣言」の締結とか米韓軍事演習の中止などはあくまでもサイドテーマに過ぎず、主要テーマの非核化の範囲で米朝は一致点を見いだせなかったわけだ。
次に、米朝首脳会談の勝利者と敗北者は誰かだ。朝鮮中央通信は5日、首領様の帰国を待って「ハノイ会議は成功した」と報じた。一方、米国でもトランプ氏は「米朝首脳会談は成功した」とワシントンに戻る途上ツイッターで既に配信している。両者の「成功宣言」は決して強がりではなく、一種の外交戦略の意味もあるが、ハノイの首脳会談は勝利者も敗北者もない会議だったともいえる。
会議前、トランプ氏は北の非核化の見通しを明確にすることで外交ポイントを獲得しようと考え、金正恩氏はトランプ氏から対北制裁の完全な解除の言質を得ようと考えていただろう。会議の決裂で両者は失望したことは間違いないが、どちらがより失望したかは、期待の度合いによって異なる。期待が大きければ、それが実現できない場合、失望は大きい一方、あまり期待していない場合、失望もそれほど少なくて済むわけだ。しかし、「失望」は即敗北を意味するわけではない。
いずれにしても、ハノイ会議は勝利者も敗北者も出さずに終えた。そして首脳会議の主役のトランプ氏も金正恩氏も「会議は成功した」と述べている。両者の「成功」にはニュアンスだけではなく、ひょっとしたら意味も異なっているかもしれないが、明らかな点はリング上に上がれないほどダメージを受けた者はいなかったことだ。第3回米朝首脳会談の開催については、両者とも口に出さなかったが、「あいつの顔をもう見たくない。今後は会談しない」といったわけではなかった。
スポーツ競技では勝利者が決まれば、同時に敗北者も決定する。サッカー試合やボクシングでも引き分け試合はファンにとって面白くないが、時には引き分けで終わることがある。世界の外交ではスポーツ競技以上に多くの引き分け試合があるものだ。
日本や米国内で「バット・ディールよりもノー・ディールの方がいい」という消極的な意味でハノイ会議の決裂を評価する声が聞かれる。当方は第2回米朝首脳会談は成功したと積極的に受け取っている。なぜならば、非核化への米朝のスタンスが初めて交渉テーブルで話し合われたからだ。北の非核化について本格的な交渉が始められる土台ができたのだ。シンガポールの第1回米朝首脳会談は米朝両国のトップが歴代初めて会合したという意味で価値があった。第2回のハノイ会議では米朝首脳会談の本来のテーマ、北の非核化交渉が幕開けしたという意味で大きな前進があったからだ。米朝首脳会談はもはやトランプ氏と金正恩氏のパフォーマンスでもショーでもなくなったのだ。
物を安定させるためには3点のポイントが必要だ。1点では立つことはできない。2点でもフラフラする。3点あった初めて安定する。同じことが米朝首脳会談でもいえるだろう。第3回米朝首脳会談は直ぐに開催できなかもしれないが、開催されたならば北の非核化交渉で火花を放つ激戦が展開されるだろう。その時、勝利者と敗北者は明らかになるはずだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年3月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。