「平成」は、震災で日本がより日本らしくなった時代 --- 田中 大二郎

寄稿

平成も残りわずかとなりました。平成元年を18歳で迎えた世代の一人として、平成という時代がどうだったかを少し振り返りたいと思います。

「平成」を発表した当時の小渕官房長官(官邸サイトより:編集部)

あれから丸30年以上が経過し50歳近くになりました。企業に就職した友人の多くは課長以上の職位に就き、部課の中心メンバーとして活躍しています。筆者自身はと言えば、経済的な観点で見れば全く成功者ではありませんが、細々と研究の道を歩んできました。

この30年、とくにここ20年は、日本がより日本らしくなる期間、日本が底力を発揮した期間という印象を持っています。この点について、説明したいと思います。

平成元年イデオロギーを排す

よく、平成の30年間は日本の転落の30年だったという捉え方がされることがあります。株価、経済成長、企業の時価総額、賃金等々をもとに「失われた30年」論を展開する大前研一氏(ベルダ 2019/1月号)がその代表です。

筆者はこの議論に賛同できません。なぜなら、この議論は、平成元年=最高到達地点という固定点によって論点先取する議論であり、いうなれば「平成元年イデオロギー」のようなものだからです。

この平成元年肯定論に対して、幾つかの問いを投げかけることができるでしょう。

  • そもそも平成元年が、その後の日本および日本人のすべてを評価する価値基準になるほどの最高到達点を示していたでしょうか?
  • 平成元年が、人々の生き方、価値の持ち方、幸せの実感等々から、日本および日本人のすべてを評価する価値基準になるほどの最高到達点を示していたでしょうか?

平成元年に最大の価値を置く人々も、これらの問いには、必ずしもイエスと言い切れないのではないでしょうか。たしかに「戦後復興」という価値の軸、「近代」という価値の軸の延長として見るならば平成元年は一つの到達点かもしれません。それでも、それらの価値の軸の外に立てば、決してそうは見えないのです。

「より日本らしくなった」

日本は、昭和23年6月に発生した福井地震を最後として大地震が少ない時代を経て、高度経済成長を経験し、バブル時代、そしてその崩壊の時代をむかえます。この時代状況の中で、阪神大震災が起きたことが、日本人の精神の中の、より古い層にあった価値観や生き方を呼び覚ましたと見ることが可能でしょう。

平成7年1月17日早朝、多くの尊い生命と貴重な財産を奪った阪神・淡路大震災(海自・阪神基地隊サイトより:編集部)

そして、この点は、3.11 のときにより強く感じられました。人と人が媒介を経ずに向き合い、同胞の生死と身の安全に関心をもち、まちの歴史と将来に真剣な関心を持ち、地震で破壊されたまちの復興のために、地域とそこに生きる人に「求心力」によってつながっていくということが起きました。

平成元年時点では到底想像できない行動モデルが日本人の間で共有されるようになったのです。日本列島の長い長い歴史の中に刻み込まれたさまざまな天災に、新たに東日本大震災が加えられ、未曾有の難局の中で、日本が日本らしくなり、日本人が日本人らしい行動を選択した瞬間だったのではないでしょうか。

被災した石巻でのボランティア活動の拠点、石巻専修大学に集まった多数のボランティアやNPO(石巻市サイトより:編集部)

その背景も重要だと思います。平成23年3月11日の時代状況として、バブル崩壊後の長い定常化・デフレの時代を経て、明治維新以来の「近代化」の時代はもう大体終わりを迎えている… そういう一定の国民的な認識が共有されていたのではないでしょうか。

阪神大震災の前後から「ポストモダン」を議論する傾向が既に出ていましたが、それはごく一部の人々の関心対象にすぎませんでした。成長から持続可能性へと日本社会の目指すベクトルが変化していた2011年は、多くの国民の間で、近代化の終わりが意識的であるにせよ無意識的であるにせよ認識として共有されつつある状況にあったと思います。このタイミングで3.11があったことの意味は大きいと思います。

災害を美化することは決してしませんが、災害のもたらした一定の状況の中で、人と人とがじかに向き合い、人が自然(=本来の「物」という意味、アニミズム的な信仰対象としての日本人の宗教心の対象である万物という意味)と向き合うことによって、日本の風土の中でわれわれが世代を超えて身につけてきた人間関係のあり方や自然とのかかわりが(再)認識され、この認識が多世代に共有され、そして、それまで近くに住みながら生き方も価値観も全然違うと思いこんでいた人同士が共感し合い、むすびつき、そして力を発揮できたのだと思います。

「日本が底力を発揮した」と比喩的に書いた意味はそこにあります。

「株価」「時価総額」「経済成長」「賃金」とは別の指標が必要

ところで、これからの日本のさらなる少子高齢化の時代には、大都市やグローバル企業をトップランナーとして編まれる「株価」「時価総額」「経済成長」「賃金」とは別の指標を新たに開発し、併用しながら、地方の活動を評価可能にする仕組みが必要ではないでしょうか。

地方で実現される多様な価値を適切に掬い取り評価しながら、地方発で少子化の課題を解決する必要があるのではないでしょうか。

「株価」「経済成長」「賃金」等の指標が一定の重要性を持つことは認めますが、それらをひたすら前面に出したところで、課題の解決を導くことにはならないわけですから。

そして、経済指標をもとに、「失われた10年」「同じく20年」「同じく30年」といった総括がなされる一方で、その日その日を生きる人々は真剣であり、1日たりとも失われることなどないのですから。

実際、平成の30年間の大部分を覆っていたデフレの時代に、多くの苦難と課題はあったにせよ、日本の地域の人々がしっかりと地に足を付けて力を蓄え、底力を発揮したと見ていいと思います。だからこそ、たとえば、ここ数年急速に増大し続けている外国からの観光客の人たちを遇することもできているのではないか、そんな風にも考えています。

筆者は、平成28年の熊本地震後に大牟田市に住み熊本市の研究所に通っていましたが、熊本でも大牟田でも、地方の精神的、物質的な豊かさを実感しました。人と人との関係の中に、地域で世代を超えて長年培われてきたあたたかさを感じましたし、貨幣に還元されない価値が、日本の地方には驚くほどあると強く実感しました。おそらく日本の多くの他の地方も同様でしょう。

少子高齢化だけでなく、課題は山積しています。この30年、中央・地方を問わず政治の問題、外交安全保障の問題、マスメディアの問題の多くは先送りされてきました。

筆者は、国際法が慣習法として成立する前にヨーロッパで論じられた万民法の思想史、また、フランスの政治思想史や道徳思想史を研究領域として来ましたが、研究者の視点で見て、これらの問題の先送りは非常に深刻だと感じています。

しかし、それらをいったん置くとしても、平成の時代は、日本がより日本らしくなる時代、日本が底力を発揮した時代だと考えています。

田中 大二郎 自治体研究員
フランス近代思想史研究により博士(学術)(一橋大学)。平成28年熊本市都市政策研究所にて、防災、震災記憶の研究に従事。他の関心分野に、公民連携、若者の地域参加、まちづくり、関係人口等。現在、授業料不要のリベラルアーツ大学(校)のプログラムを構想中。