ビジネス上のやり取りで一番大切なことは、要点が端的にまとまっていることと、目的が明瞭であることだ。私が社内の誰かにメールを出すときは、シンプルに「イエス」「ノー」といったことを伝える。もちろん社外や目上の人に対して便りを出すときには、丁寧な文章が必要になるが、その2点を念頭に置かなければ、どんなに言葉を尽くしても意味のある便りにはならない。
上記は、3年程前プレジデントオンラインで連載された『北尾吉孝社長の「はなまる文章、赤点文章」』の内、『挨拶メール「1通だけ」で相手を口説き落とすコツ』と題された記事の冒頭部です。メールにしろ手紙にしろ電話にしろ一番良いのは「要にして簡」、即ち必要な事柄すべてを包含し簡潔に纏められているものに尽きると思っています。
長文・駄文で何が言いたいのか全く伝わらない、ダラダラと何か喋っているが何が焦点か全く分からない、といったことではいけません。ですから私の場合は、電話もメールも短いのです。但し、短くとも相手に対し非礼なきように、ちゃんと礼を尽くすということだけは、私自身がある意味心掛けていることでもあります。
拙著『実践版 安岡正篤』第三章「一流の仕事人になる為に身につけるべきこと」にも書いておいた通り、此の礼について安岡先生は御著書『知命と立命』の中で、「およそ存在するものはすべてなんらかの内容をもって構成されている。その全体を構成している部分と部分、部分と全体との円満な調和と秩序、これを『礼』という」と述べておられます。
例えば会社というものは、年齢的にも経験的にも多様な人々の集まったheterogeneous(異種)な社会です。そこで、社員同士あるいは社員と会社の関係を円満に調和させ秩序だったものにすべく、従うべき原則が礼なのです。私どもSBIではそういう礼につき入社時より喧(やかま)しく指導していますが、それでも中にはheterogeneousな世界にスムーズに入って行けない人もいます。
電話対応一つを見ても、それは顕著に表れます。内線電話の取り方などでも、礼儀作法がしっかりしていてソツがなく伝言内容を的確に伝えられる人がいる一方で、残念ながら全くなっていない人もいます。陽明学の『伝習録』に「事上磨錬(じじょうまれん)」という言葉があり、日々の生活の中で己を鍛え上げ行くことを説いていますが、礼儀作法もその一つと言えるでしょう。
ちなみに私の場合、メールでのカンバセーションを余り行いません。それは一つに話しているとき喧嘩をしたとしても速やかに訂正ができ誤解が解けますが、対照的にメールというのは様々な事柄において誤解を生む種になったりしますし、書き物として一度残りますから直ぐに訂正するのが難しかったりするからです。
それからまた、人情の機微のようなものはメールの文面に表れてこないところがあり、それは実際会って一緒に時間を過ごす中で表れてくるものですから、こういう時代においては尚の事、メール等のコミュニケーション手段を減らしface-to-faceの時間をもう少し持つようにする、といったことがあっても良いのではないかと私は思っています。
何れにせよ人間生活の基本的な在り方とは、「礼に始まり礼に終わる」という武士道の精神にあります。他人を尊重するからこそ、社会生活が円滑に行くわけです。礼の徳とは社会の秩序や調和を保つ働きを持った徳のことであって、礼がきちっとしていない者に大きな仕事など出来るはずがないのです。
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