都議会が本当に死んだ日:数の力でなんでもやる都民ファースト

川松 真一朗

さて、各ニュースでも報じられている通り、お恥ずかしながら3月14日は都議会が大混乱しました。

この様子は報道ステーションでも大きく取り上げられました。

事の発端は、一昨日13日の一般質問で私が参考人として、元東京都顧問・市場問題PT座長で現・都民ファーストの会政調会事務総長の小島敏郎氏を参考人として呼んで欲しいと委員長に申し入れたことにあります。

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小池都知事は変節していないと力強く語る

では、なぜ世間は小池知事は変節したと思うのか。それは「築地は守る」という小池知事の基本方針がイコール「築地市場を守る」と誰もが思い込んでいたからです。そう思わせる原因は小島PTの中身や氏の言動にあったことが市場関係者や移転に関わった人々への聞き取りから見えてきました。これは築地女将さん会も指摘しています。ここで挙げればキリがないのですが、小島氏に聞きたい事は沢山あります。

なぜ混乱してしまったのか

今回、この小島氏招致をめぐる混乱が結果的にニュースにもなったというのが真相です。

13日の質問終了後、都民Fの伊藤ゆう副委員長が自民党にやってきます。都議会予算特別委員会は2月20日に世話人協議会で合意した実施要領の中で、各会派交渉係という項目が定められています。この交渉係には連絡調整の仕事があり、昨日の混乱場面でも委員長が事態整理の為に委員長席に何度も集めたのはこの交渉係です。

ですので、通常ですと、今回であれば都民ファーストの木村理事が交渉係になっていますので、彼が率先して自民党の秋田交渉係と調整に乗り出すというのが普通の考えでした。しかも、最初に伊藤副委員長が尋ねてきたのは、自民党の山崎一輝委員。この際、ルールを作っているのだから、しっかりと委員会の役職者同士で話をすべきだと山崎都議は原則論で、交渉係同士の会談を申し入れます。今思えば、このあたりからボタンの掛け違えが始まっていました。

その次に伊藤副委員長は秋田交渉係との調整に入ります。ここでも、交渉係同士で話すべきではないかとし、結果的に都民ファーストと自民党の副委員長、交渉係4人での会談が始まりました。これは自民党の役員応接室で開かれたのですが、約1時間。途中からは両者の激しい声が外に漏れるほどの緊迫感がありました。

(以下、現場にいた人達への取材から)

都民ファーストからは

「小島氏を呼ぶ場合にはいつ呼ぶのか?」という問い掛けがありました。

これに対して、自民党側から

「いつでもいい。小島氏の時間に全て合わせる」

都フ 「それは小島さんに失礼ではないか」

自民 「日程をこちらが出したら、そちらがまとめるのか?」

都フ 「それは持ち帰らないと分からない」

自民 「会派を代表してきたのではないのか?何しに来ているのか?」

….などなどの会話が延々と続いていきます。

結果として、まとまらず14日11時開会予定の理事会がある事から、10時30分から再度協議をするという事になりました。

但し、そもそも論として、14日の理事会は参考人招致の為に開かれるものではなく、元々議事日程の関係でセットされていたものです。そこに急遽、この参考人招致という議題を別立てでは無くて入れ込むという事で自民党も調整が必要でした。

再度の交渉

10時30分の交渉は副委員長同士、交渉係同士となりました。実質、副委員長同士の会談は参考人招致の協議は無かったようです。ここで秋田・木村会談でも招致の方法などで平行線が続き、秋田交渉係から木村交渉係へ「幹事長会談」を提案します。

これは、参考人を呼ぶという議会運営の大きな節目で、協議が完全に膠着してしまったので妥協点を探る為の提案でした。しかしながら、都民ファーストからは幹事長会談の拒否、かと言って進展する案が出ません。そこで、自民党は幹事長、交渉係の2人が理事会でどんな議論になるかという事を確認しに、同じく小島氏招致を要望している共産党控室に出向き協議をしていました。この協議中に都民ファースト側は「行方不明」という理由を掲げて、強行的に理事会を開催しました。

この点で、事実の不一致があります。自民党の三宅副委員長には議会局担当書記から自民党控室へ連絡があり話をしています。そこで自民党と共産党が協議していることを踏まえて少し待って欲しいということと通常論を述べています。通常ですと、協議難航の場合は、委員長が調整に乗り出すものですが、今回、石川委員長は事前に何の調整もありませんでした。

ですので、三宅副委員長は今から委員長が動いてみてはどうかと提案。しかし理事会室では「そんなのは関係ない」「ここで待っていればいい」ということで理事会が始まりました。私は強行開催の恐れがあったので、ドアの前にいたので、よく分かっています。

実際に、自民党、共産党不在のままでよいのかという声も上がったようですが委員長は続行し意見の一致をみないという事で小島招致を流しました。この流れた事は騒動が起こってから自民党は知る事になります。

騒動の前触れ

最初にひと悶着あったのはこの後です。

12時過ぎて石川委員長が自民党控室入り口で「1時に開会します」とだけ喋って、理事会開催の経緯、協議内容は話さないままに立ち去ろうとしました。これに、少なくとも理事会内容は説明すべきでないかと予算特別委員会メンバーと石川委員長で押し問答が始まります。このザワザワ感を察知して、吉原幹事長も出てきて、都民ファースト側からも数名が出てきました。

 この場で、木村理事は最初から笑いながら、「痛い」「痛い」とシミュレーションしていましたが、突然誰かが、吉原幹事長に「見たぞ。蹴っただろ」と詰め寄ります。しかし「蹴られた」という人は出てきませんでした。私も木村理事に「何笑ってんだ」と言いました。

気づけば、石川委員長や都民ファースト側は秋田交渉係を押し倒していなくなります。この時の様子を都民ファースト側で撮影している方がいたので秋田交渉係の様子を収めたものがあるはずなのですが。

この後、午後1時開会前に、自民、共産、立民、維・あという予算特別委員を出す会派で委員長に抗議文を提出。加えて、説明を再度求めましたが、委員長席がこのままグチャグチャとなり、そのままの流れで石川委員長は開会宣言。

これが大混乱の委員会スタートとなったのです。いずれにしても、参考人招致は自民、共産不在の理事会で一方的に「扱わない」とされてしまったので、混乱の中、私は必死で動議をかけるため手を挙げ続けました。そこで、石川委員長に指名されたので「小島敏郎氏の参考人招致を求める」緊急動議をかけます。ここで、30分の休憩が入りました。
何もなかった30分

この30分間。委員長がどんな調整をされるのかと思っていましたが、動きはありません。自民党は再度、説明を求めますが委員長はこれを無視。強引に委員会を再開。しかも、あろうことか、参考人招致について、提案者である私に対して、趣旨説明もさせず(というより、やるかやらないかの調整もなく)木村理事が一方的に意見表明を述べ始めての委員会再開。つまり自分達の準備だけは入念にやって、他会派には何も調整が無かったのです。

また議場が騒然としましたがこの委員会運営はおかしいと、自民党の小松委員が委員長不信任動議を出したのです。すると、石川委員長は自分のことだからと、伊藤副委員長に突然席を譲り、強引に不信任案採決。これが成立したとして、また石川委員長が席に戻り、議事を強行します。

このやり方には共産党の和泉委員が緊急動議。「委員長不信任案という重い事態だからこそ、理事会を開いて採決方法など丁寧に話し合うべきとしました」が、委員長はこれに対しては「休憩」を求める動議と話をすり替えて進行しようとしたところで、もう積んでしまい、自民党はこの委員長の下では審議出来ないと退席しました。

これが事実です。この後に、議長、議会運営委員長に事態収拾のため、石川委員長に民主的な議会運営をするように話して欲しいと6会派で要望。いまだに正常化に至っておりません。

一夜明けて、入口論の話をしたいと伊藤副委員長が三宅副委員長の所へやってきましたが、「行方不明」で理事会を始めたという点について三宅副委員長が間違いなく担当書記と話している事から、当然進展はなく…

今回の件は、立場が異なれば解釈も異なるのは当然としても、ルールにないからと不信任の動議の処理などを自分達の都合で押し進めたことだけは間違いありません。民主主義はプロセスと言われますが、数の力だけで何でもやるという前例を作ってしまった都民ファースト。今後、協議の場である「理事会」は意味をなさなくなります。どうやって、正常化に戻していくのか、私には皆目見当つきません。

委員長の責任、第一会派の責任というものは重いのです。

都民ファーストを離党した上田令子都議が言いました、

「さんざんドンだ、ブラックボックスだと自分達が批判してきた自民党時代でさえ、数で押し切るという暴挙は無かった」。

川松 真一朗  東京都議会議員(墨田区選出、自由民主党)
1980年生まれ。墨田区立両国小中、都立両国高、日本大学を経てテレビ朝日にアナウンサーとして入社。スポーツ番組等を担当。2011年、テレビ朝日を退社し、2013年都議選で初当選(現在2期目)。オフィシャルサイトTwitter「@kawamatsushin16」