Nature Medicine誌に「Protective autophagy elicited by RAF-MEK-ERK inhibition suggests a treatment strategy for RAS-driven cancers」というタイトルの論文が報告されている。RASというのは代表的ながん遺伝子であり、人のがんでこの遺伝子の異常が見つかったのは1980年代の初めである。私はこの報告をきっかけにがんに関わる遺伝子に興味を持った。
活性化されたRASを標的とする治療薬の開発は、数十年に渡ってチャレンジが続けられているが、これまでは成功した例がなかった。この論文の標題にあるRAF-MEK-ERKという3種類のタンパクは、RAS遺伝子の細胞増殖につながる活性化が起こった時に、その影響で活性化が順に起こっていく過程にある分子である。RASの活性化をAとすると、B-C-Dと繋がる部分に位置する。
このRAF-MEK-ERK経路を抑えると、オートファジーが活性化され、がん細胞が強くなると考えられている。オートファジーというのは、大隅良典先生のノーベル賞受賞につながった自然現象で、日本語では「自食」作用と呼ばれる、細胞内のタンパク質を壊して再利用する仕組みである。RAS-RAF-MEK-を抑えても、この再利用の働きが強まることによって、RAS経路の抑制を乗り越えて、がんが逞しく生き残る可能性が示されたのである。私には難しすぎてよく理解できないが、この論文に間違いがなければ、そうなのだろう。
そこで、著者たちは、すでにメラノーマの治療薬として承認されているMEK阻害剤に加えて、オートファジー阻害作用のあるヒドロキシクロロキンという薬剤を併用して、RAS遺伝子異常が95%で認められる膵臓がんの治療薬として応用可能かどうかを試みたのである。ヒドロキシクロロキンは、長い間、熱帯地域の感染症であるマラリアの治療薬として利用されていた薬剤であるが、近年は関節リウマチや全身性エリテマトーデスなどの自己免疫疾患の治療にも利用されている。副作用として眼へ及ぼす障害が知られている。
動物実験においては、それぞれ単独の薬剤ではあまり効果はなかったが、二つを組み合わせると驚くような相乗効果が発揮されていた。出来すぎではないかと思うようなレベルの効果だった。本当かと半信半疑で読み進めると、最後に人の膵臓がんに対するデータが1例だけだが示されていた。結果は驚嘆に値する。複数の転移巣が消えたり、縮小していた。
日本のエビデンス至上主義者は「わずか1例」「たかが1例」と吐き捨てるかもしれないが、この挑戦には科学的な裏づけ(エビデンス)がある。基礎研究、動物実験も立派なエビデンスだ。積み重ねられたエビデンスを読み取る力・評価する力がないことが、日本の開発研究の遅れとなって表れている。しかし、この本質的な問題点を認めようとしないから、課題が克服されないのだと思う。
患者さんを救いたいという必死な思いがあれば、色々な可能性に患者さんと一緒に挑戦していきたいという気持ちになるはずだ。この論文では、すでに承認されている2種類の薬剤を組み合わせたものだ(認められている対象が異なっているが)。この膵臓がんに対する試みをする側も偉いが、それを認める人たちも、科学的な背景を元に科学的な観点で人へ応用を認めたものである。安全性に対する不毛な議論に時間を費やしていれば、間に合わなかった可能性は高い。それぞれの患者さんの置かれた状態を考慮してこそ、倫理的な判断ができるのだと私は信じている。
冷徹に「あと3か月」「あと6ヶ月」とマニュアル医療を行うことが、正しい医療、真っ当な医療と考えていない医師たちはたくさんいるはずだ。それが形に表れてこないシステムそのものを作り替えなければ、日本のがん医療は変わらない。権威、利権、面子などを優先する社会構造を変える必要に迫られているのではないのか?
患者さんに希望の光を提供したいと心から願っている医師や研究者は、しがらみから自分を解き放って、自分の信じたことに挑戦して欲しいものだ。もちろん、科学的な評価を受けることは不可欠だが。
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2019年3月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。