3月22日、「米財務省が大規模な(対北)追加制裁を発表した」。ところが同日、米大統領が「それらの追加制裁を撤回するよう命じた」というから驚く。トランプ大統領がツイッター上で、自らそう表明している。
It was announced today by the U.S. Treasury that additional large scale Sanctions would be added to those already existing Sanctions on North Korea. I have today ordered the withdrawal of those additional Sanctions!
— Donald J. Trump (@realDonaldTrump) 2019年3月22日
追加制裁を撤回した理由にも驚く。「トランプ大統領はキム(ジョンウン)委員長のことが好きで、これらの制裁は必要ないと考えている」(米ホワイトハウスのサンダース報道官)。
大規模な米韓合同軍事演習を終了させたうえ、大規模な追加制裁も撤回する。いずれも、米朝交渉への誘い水らしいが、北朝鮮は乗ってこない。それどころか、同じ3月22日、北朝鮮はケソン(開城)工業団地の南北共同連絡事務所から要員を引き上げた。そう韓国政府が発表した。
ケソンの連絡事務所は、去年4月の南北首脳会談の共同宣言に基づき、同年9月に北朝鮮南西部のケソンに設置された。その際、韓国側が330トン余りの石油精製品を北側に持ち込み、それを国連安保理に報告しなかったことが問題視された経緯もある。
よくも悪くも南北の宥和ムードを象徴する事務所であり、南北の高官が共同で所長を務め、双方合わせて約50人が24時間駐在。南北の鉄道と道路を連結する着工式についての実務協議などが行われてきた。南北が常に接触できる初めての窓口だったが、それも閉ざされたことになる。
去る3月15日には、北朝鮮のチェ・ソンヒ(崔善姫)外務次官が平壌で記者会見し、2月末の米朝首脳会談が物別れに終わった責任は米国側にあると主張、「米国は絶好の機会を投げ捨てた」、「我々はいかなる形でも米国の要求に譲歩する気はないし、この種の交渉には関わるつもりもない」、「強盗のような米国の姿勢は状況を危険にさらす」と警告した(タス通信、AP通信)。
この日、チェ次官は、弾道ミサイルを再び発射する可能性について「実験の猶予を続けるかどうかは、キム委員長の判断次第。近く決定するだろう」と述べた。「キム委員長が米国との非核化交渉に関する声明を近く発表する」とも明らかにした。
その1週間後、北朝鮮はケソンの共同連絡事務所から要員を撤収させたわけである。他方、3月23日現在、いまだキム委員長の声明は公表されていない。「近く」というが、具体的に何月何日なのか。北は米朝交渉の中断に踏み切るのか。弾道ミサイルの発射はあるか。
遡る3月5日には複数の米専門機関が、北朝鮮トンチャンリ(東倉里)のミサイル施設で復旧作業が始まったとの分析結果を発表した。それらによると、2月16日から3月2日の間に、つまり米朝首脳会談の間も、トンチャンリのミサイル発射場「ソヘ(西海)衛星発射場」にある発射台の復旧作業が始まっていたことになる。クレーン2機が確認され、壁や屋根が設置されていた。エンジン試験の施設でも復旧作業が行われているという。
トランプ米大統領は3月6日、「まだ判断するには早すぎる」と指摘しつつ、「もし事実であれば、キム委員長にとても、とても失望するだろう」と語った。
もし今後、弾道ミサイルが発射されたら、「事実」関係は確定する。だが、そうなってから「失望」しても遅い。果たして、ミサイル発射はあるのか。
北朝鮮の動向をめぐって、マスコミ各社が観測記事を報じているが、いずれも見るに値しない。なぜなら先月末、彼らはそろって、こう報じていたからである。
「米朝首脳会談2日目 合意文書発表へ 非核化進展が焦点」(NHK)
「米朝会談2日目、合意文書発表へ 連絡事務所設置に前向き」(共同通信)
等々(他略)
結果は「合意文書発表」どころか、事実上の決裂。世紀の大誤報となった。
なかでもNHKが酷い。総合テレビとBS1(衛星放送)の看板ニュース番組に、それぞれ複数の「識者」を、米朝首脳会談が行われた2月27日と翌30日に連続出演させた。それぞれ前日の直前予想が大外れにもかかわらず、まったく同じ「識者」を起用して、前日と同じ調子で「解説」させた。それでも、受信料を強制徴収する公共放送を任じて恥じない。NHK御用達の「識者」ともども厚顔無恥きわまる。
かくてマスコミは互いに傷を舐めあい、あいも変わらず楽観報道を続けている。しかし、彼らがなんと言おうが、北朝鮮が本気で非核化を決断する可能性は限りなく低い。今後もたとえば「人工衛星」を搭載した長距離ロケットの打ち上げと称した発射や、新型エンジンの燃焼実験はじゅうぶん起こり得る。トンチャンリの動きは、その兆候ではないか。
いっけん後者は素人目に大した脅威とは映らない。だが、それは違う。少なくとも米軍にとっては差し迫った脅威と映る。なぜなら、弾道ミサイル発射の兆候を事前に探知することは難しく、静止軌道上の早期警戒衛星が発射に伴う高熱を探知し、迎撃するからである。早期警戒衛星の目には、弾道ミサイル発射も、エンジンの燃焼実験も、同じように映る。それを承知の上で、北朝鮮が強行するのではないか。過去そうした前科もある。
主要メディアが奏でてきた楽観論と、当欄で繰り返し述べてきた悲観論の、いずれが正しいか。その答えは「近く」明らかになる。
潮 匡人 評論家、航空自衛隊OB、アゴラ研究所フェロー
1960年生まれ。早稲田大学法学部卒。旧防衛庁・航空自衛隊に入隊。航空総隊司令部幕僚、長官官房勤務などを経て3等空佐で退官。防衛庁広報誌編集長、帝京大准教授、拓殖大客員教授等を歴任。アゴラ研究所フェロー。公益財団法人「国家基本問題研究所」客員研究員。NPO法人「岡崎研究所」特別研究員。東海大学海洋学部非常勤講師(海洋安全保障論)。『日本の政治報道はなぜ「嘘八百」なのか』(PHP新書)『安全保障は感情で動く』(文春新書・5月刊)など著書多数。