9条と国際法 〜 近代立憲主義を貫くために自衛権の具体化を --- 丸山 貴大

2004年6月22日に民主党憲法調査会が発表した「創憲に向けて、憲法提言 中間報告」には、憲法9 条問題の解決に向けた基本的な考えの一つとして、国連憲章上の「制約された自衛権」について明記することが挙げられている。

首相官邸サイトより:編集部

その基本要件は、第一に「緊急やむを得ない場合に限り(つまり他の手段をもっては対処し得ない国家的脅威を受けた場合において)」、第二に「国連の集団安全保障活動が作動するまでの間の活動であり」、第三に「その活動の展開に際してはこれを国連に報告すること」の3点だ。

また、同会が2005年10月31日に発表した「民主党『憲法提言』」には、9条問題について、国連憲章第51条に則り「制約された自衛権」を明確にすることが記された。また、その「自衛権」は「専守防衛」に徹し、必要最小限の武力行使に留めることが基本とされている。そのことにより「政府の恣意的解釈による自衛権の行使を抑制し、国際法及び憲法の下の厳格な運用を確立していく」ことが謳われている。

当時、民主党は具体的な条文案を提示するまでには至らなかった。しかし、2018年8月6日、立憲民主党の山尾志桜里衆議院議員は「自衛権統制規範としての憲法九条案」を発表した。その内容は、9条1項2項を維持した上で武力行使の「旧三要件」を明記し、自衛権の範囲を統制するものだ。

このような考えは、第2次安倍晋三内閣による2014年7月1日の閣議決定に起因するものと推察される。即ち、閣議決定が9条下で許容される自衛の措置として「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使すること」を追加した。

このような新たな「武力の行使」について閣議決定では「憲法上は、あくまでもわが国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるもの」として「国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある」と記している。

また「武力の行使」が「国際法上、集団的自衛権が根拠となる場合がある」と言及されているように「憲法上の個別的自衛権」が「国際法上の集団的自衛権」と重なることはあると考えられる、という見解もあるのだ。

ここにはガラパゴス論理が見受けられる。これは9条下において、自衛のための必要最小限度の実力組織と位置付けられる自衛隊について「国際法上、一般的には、軍隊として取り扱われるものと考えられる」という政府答弁があるように、9条と国際法を分離し、異なる観念を生み出しているのだ。

そのことにより、いわゆる「砂川事件」の最高裁判決が「国家固有の権能の行使として当然のこと」とした「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうること」という言わば「9条下(憲法上)の自衛権」という授権規範に集約されている。それは既成事実故、それに対する憲法の制約、つまり、制限規範がないのだ。だからこそ、9条は解釈によって存在している。そのような宙ぶらりんな現状を放置したままで立憲主義を訴えることは実に空虚である。

そこで、9条下で例外的に許される「武力の行使」について、国際法と9条の関係性を整理し、その内容を限定して制限的なものにする作業が求められる。ちなみに、国際法における自衛権の条件は第一に「武力攻撃の発生」、第二に「自衛の必要性」、第三に「自衛の均衡性」の3つとされている※1

このような条件を基に「9条下(憲法上)の自衛権」について具体的に明文化することは実に立憲的な作用がある。近代立憲主義に立脚する日本国憲法であるならば、憲法で権力を制限することが求められているのではないだろうか。

※1  橋下徹・木村草太『憲法問答』徳間書店、2018年10月31日、157頁

丸山 貴大 大学生
1998年(平成10年)埼玉県さいたま市生まれ。幼少期、警察官になりたく、社会のことに関心を持つようになる。高校1年生の冬、小学校の先生が衆院選に出馬したことを契機に、政治に興味を持つ。主たる関心事は、憲法、安全保障である。