個々の金融機関は、それ自身の合理性に基づく経営行動をするとき、全金融機関の行動の集積の結果として、自分自身にとっても、社会全体にとっても甚だ不本意で不合理な結果を招来する可能性がある。個において賢くも、集団において愚になるのだから、集団の愚である。
例えば、少し前の金融庁の文書にも、大手銀行に対しては、「主要行等の行動も、総体として、経済や金融・資本市場全体に大きな影響を及ぼしうる」とあり、また、地方銀行等の地域金融機関等に対しては、「個別金融機関にとっては合理的な行動が、総体として、経済や金融・資本市場全体に影響を及ぼす可能性についても留意する」とあった。この問題は、金融庁の専門用語では、マクロ・プルーデンスというのである。
プルーデンスというのは、英語の通常の意味として、思慮深い態度のことだから、自己の行動が周辺に与える可能性のある諸影響に対して、事前に合理的かつ総合的な顧慮を十分に払うことを意味し、故に、場合によっては慎重であることにも帰結するものである。
マクロとは何かといえば、ミクロに対していわれることで、ミクロとは個々の金融機関の行動の影響であり、マクロとは全金融機関の行動の集積がもたらす影響のことである。各金融機関は、ミクロの立場として、自己の行動についてプルーデントであるように努めることはできても、金融機関全体の行動の集積の結果には関与し得ないが、金融庁の立場からすると、マクロの影響は看過できない。
そこで、金融庁としては、各金融機関に対して、マクロの影響を考慮するように求めるわけだが、これは不可能を強いることに近い。マクロの影響に留意することはできても、自分にとってプルーデントであると信じる行為を留保することはできないからである。
例えば、ある金融機関が国債を大量に売却しようとする。売却実行に先立っては、事前に慎重な反省的検討が行われる。その結果、十分に合理的な行動と判断されれば、売却が実行される。これは、一つの金融機関の行動としては、つまりミクロにおいては、完全にプルーデントである。
しかし、マクロにおいては、プルーデントな結果になるとは限らない。なぜなら、同時に他の多くの金融機関において、同様の客観情勢のもとで、同様の検討がなされ、同様の結論に達している可能性が高いからである。かくして、国債価格は暴落し、社会に甚大な影響を与えてしまう。
故に、金融庁はマクロ・プルーデンスを重点とするのだが、実は、金融庁の規制が金融機関の行動を画一化させている面を否定できないので、非常に悩ましい問題になるのである。金融規制のジレンマである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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