オートショーに見た消費の二極化

先日、バンクーバーで開催されたオートショーを見に行くチャンスがありました。これだけ長く住んでいながら規模が小さい当地のオートショーには一度も行ったことがなかったのですが、東京モーターショーと違い、空いている分、ゆっくり車を堪能できる点ではよかったと思います。

Vancouver International Auto Show 公式FBページより:編集部

さて、当地のオートショーは入り口を入るとまずはラグジュアリーカーとスポーツカーがずらりと並びます。なぜか異様にフェラーリが多かったのは出展しているのがメーカーではなく、ディーラーであったこともあります。

ラグジュアリー会場の次にある一般展示車会場で人の流れを見ていると自動車各社ラインアップでは上級車と実際に購入できそうな実用車に人気が分かれています。SUVに力を入れているところが多く、セダンはあまり人気がなかったのが印象的でした。また、一般車展示エリアにバンクーバーのカローラであるBMWやベンツなど欧州勢がほとんどなかったのも驚きであります。個人的に強い印象があったのはジャガーのFシリーズ(スポーツカーです)にはインド人がたくさん集まっていました。彼らのあこがれなのかもしれません。

全体を見渡して感じたのは運転席回りの仕様は日欧米どの車もほぼ同じようになってきている点でしょうか?センターコンソール近くの手元で操作できるような仕組みが主体となっているほか、インパネはゲームセンターのような液晶画面がかなり増えた印象です。車体価格は一般車でもずいぶん高くなってきていると思います。技術の進歩に対して価格上昇のバランスが悪い印象を持ちました。

私どももレンタカー部門があるので自動車価格はある程度認識していますが、弱小会社なのでフリートディスカウントと称するレンタカー卸用の特別割引が効きません。(メーカーによりますが、大きいところだと20-30%値引きがあるようです。)そうなると購入価格とその車からの予想売上、下取り価格を考えるとこれ以上の車体価格の上昇は弱小会社では吸収できない事態になります。私がしばしば申し上げる大資本、大規模が有利というのはこのことであります。

さて、話を元に戻しますが、1500万円以上するようなラグジュアリーカーの価値とはどこにあるのか、といえば見栄と優越感と差別化なのですが、購入者の生活水準に合わせた適材商品だともいえます。クルマも含めた生活全般のバランス感覚といいましょうか?つまり、10億円の価値がある住宅のガレージに日産ノートというわけにはいかないですし、ユニクロを着てマセラッティに乗るわけにもいかないわけです。

日本では一点豪華主義というのがあり、普通の方が一点だけ極めて高いものを持っているアンバランスなケースはごく普通に見られますが、海外では少ないと思います。ずいぶん昔、「日本はルイヴィトンをもった人が通勤電車に乗って会社通いしている不思議な国」とフランスで報じられたことがあります。夜のお仕事のお姉さまがシャネラーだったりするのも海外から見るととてもおかしな感覚ですが、日本の平等主義が生み出した独自性だと考えています。

海外を主体に考えると収入の二分化はより明白になってきています。資本家と労働者という歴史で習ったあの区分は別になくなったわけではなく、今でもごく普通に存在しており、資本家となり、アッパーな生活をする人たちが糸目をつけずに1500万円の車を普通に購入するわけです。一方、一般層はオートローンを組める現実的な自動車を探すという意味で中途半端な金額の車が少なくなってきた感じはします。感覚的には700万円から1000万円のレンジは中途半端な感じがします。

日本で軽自動車が今でも販売の主流であるのは消費層分布の結果だと思います。「2:6:2の法則」というのがあるのですが、自動車販売では6:2:2の法則にシフトしているように見えます。つまり軽自動車でいい、という層が6割、残り4割を普通車と高級車で市場を分けるという感じでしょうか?仮にそうだとすれば日本はいまだに世界有数の金持ちがいる国ですが、この30年弱で大衆層の地滑りが起きてしまったともいえそうです。

クルマがよりバルキーでボリューム感が出てきたのは海外のテイストを反映していると思います。大きく見せるのは自分の力の誇示であります。それゆえにセダンよりもSUV、アメリカではライトトラックがいいというのは運転しやすさもありますが、チビに見られないという自己顕示欲の表れなのかもしれないと考えればオートショーを見に行き、そこに群がる人たちを観察する価値は大いにあったとも言えそうです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年3月31日の記事より転載させていただきました。