北取材で会った2人の知人の「急死」

欧州を拠点に北朝鮮の活動をフォローしてきて30年以上になるが、取材で知り合った人物が突然亡くなるというケースはこれまで2件あった。このコラム欄でも紹介したドイツ人の化学者ヤン・ガヨフスキー氏と、もう1人は会計監査の事務所を経営していたアドルフ・ピルツ氏だ。当方が最後に会った時は2人とも少なくとも「死が近い人間」といった印象は全くなかった。だから、2人が突然亡くなったと聞いた時、本当に驚いた。

▲駐オーストリアの北朝鮮大使館の後方から見た全景(欧州最大の北朝鮮大使館、2016年2月9日、撮影)

▲駐オーストリアの北朝鮮大使館の後方から見た全景(欧州最大の北朝鮮大使館、2016年2月9日、撮影)

ヤンさんの場合、国連記者室で彼と長話をしてから、いくらも月日が経過せずに、彼の訃報を聞いた。最初は信じられなかった。関係者に聞いても死因は分からなかった。彼は国連工業開発機関(UNIDO)のモントリオール・プロジェクト(MP)を担当する化学者だった。UNIDO退職後も民間の企業の顧問に就いていた。時間があれば、当方は頻繁に彼と会って話した。彼は独身で親族関係者はドイツにいた。

ヤンさんはMPを推進するために頻繁に北朝鮮を訪問し、化学工場などを視察する一方、毒性の強い残留性有機汚染物質(ダイオキシン類やDDTなど)の処理について、北の化学者たちに講義していた。ヤンさんからUNIDOが北に化学兵器を製造できる機材などを不法に支援していたと聞き、記事にした。もちろん、情報源は当時、匿名だ(「北の化学兵器製造を助けた『国連』」2017年2月25日参考)。

一方、ピルツ氏は「オーストリア・北朝鮮友好協会」会長を務め、北がウィーンで開業した欧州唯一の直営銀行「金星銀行」(1982年に開業)の会計監視などを行っていた。「金星銀行」は欧州の北の不法工作(武器密輸、麻薬取引、米ドル紙幣偽造など)の拠点だった。当方はその銀行の内部事情に精通していたピルツ氏に接近した。ピルツ氏の会計事務所は「金星銀行」からあまり離れていなかった。

ピルツ氏(59)は当時、かなり肥満だったから、その死を聞いた時、ひょっとしたら心臓発作でも起こしたのかと推測した。同氏はオープンな性格で、当方が彼の事務所に顔を出すと、会ってくれた。いい意味でサービス精神があった。

北と関係がある人物は口が堅いし、日本のジャーナリストには警戒するものだが、ピルツ氏にはそんな気配はなかった。ピルツ氏は、故金正日総書記の海外資金管理人であり物品調達人でもあった権栄録氏をよく知っていた(「親北朝鮮実業家の急死」2007年9月5日参考)。

「金星銀行」は2004年6月末、営業を停止し、閉鎖に追い込まれた。米中央情報局(CIA)とオーストリアのシュッセル政権(当時)の銀行監査への圧力が強まり、自主的に閉鎖せざるを得なくなった。オーストリアの財務省独立機関「金融市場監査」(FMA)の監査で北がどのような不法な活動をしていたかが発覚する恐れが出てきたからだ。ピルツ氏の急死はその後聞いた。CIAはひょっとしたらピルツ氏から「金星銀行」の内情に関する情報を得ていたのかもしれない、と今になって考えている(「米情報機関の欧州での成功例」2013年7月27日参考)。

ウィーンを拠点とした北の不法工作時代は過ぎた。欧州の情報機関筋によると、北朝鮮の欧州の活動は今日、フランス、イタリア、スペイン,そして北欧のスウェーデンに移動している。

蛇足だが、31日早朝、冬時間から夏時間に変わった。マイナス1時間、時間が進み、日本との時差は7時間となった。当方は早朝、ベッドでコラムのテーマを考えていた時、上記のコラムで書いた2人の知人の名前が浮かび上がってきた。ヤンさんやピルツ氏との出会いは楽しい思い出だったが、その「急死」にはやはり合点がいかず、当方の中でいまなお「なぜ」という思いが湧いてくるのだ。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年4月1日の記事に一部加筆。