債券市場の平成の30年間を振り返る

平成元年は1989年。この年に消費税導入され、年末に日経平均は38915円の過去最高値を記録した。つまりここからバブル崩壊が始まり、物価は低迷し金利も低下基調となる。

1990年に東京証券取引所に先物オプションが上場される。1991年に10年債入札結果が即日発表となる。1994年に国債資金同時受渡システム(国債DVPシステム)の稼働を開始。1995年に日銀は短期市場金利の誘導を重要な金融政策運営手段と明確に位置付けた。1996年には国債取引(割引短期国債を除く)の決済方式を5・10日決済からT+7のローリング決済へ移行。1997年には消費税を5%に引き上げ。国債取引の決済方式をT+3に。

1998年に金融政策決定会合が開始。そして改正日本銀行法施行。金融システム不安などから長期金利が初の1%割れに。ムーディーズは日本国債をAaaからAa1に引き下げた。年末には運用部ショックと呼ばれる債券市場の急落が発生。これに対処するため1999年に日銀はゼロ金利政策を開始。同年に政府短期証券(FB)と割引短期国債(TB)1年物の公募入札開始。30年利付国債の発行が開始された。

2000年に5年利付国債発行、15年変動利付国債の公募入札が開始。日銀はゼロ金利政策を解除。国債市場懇談会の開催が開始。

2001年に日銀により即時グロス決済(RTGS)化開始。日銀は公定歩合をロンバート化した。さらに無担保翌日物コールレートから日銀当座預金残高に操作目標を変更(量的緩和政策)。2002年には10年国債入札で初の札割れが発生。

2003年には国債ペーパレス化、ストリップス債の導入、国債バイバック、個人向け国債発行などがスタート。2004年に国債WI(入札前取引)、物価連動国債の発行が開始。国債市場特別参加者制度がスタート。

2005年にペイオフ全面解禁。日銀、地域経済報告(さくらレポ―ト)の公表開始。国債清算機関の業務開始。

2006年に日銀は量的緩和政策を解除。2007年にパリバショック発生、40年国債発行開始。2008年にリーマンショック。2009年に日銀による残存期間による区分別の国債買入れ実施。2010年にギリシャ・ショックによる欧州の信用不安が発生。2012年に国債取引の決済期間がT+3からT+2に短縮された。

2013年日銀は2%の物価目標の導入を決定。さらに量的・質的金融緩和を導入。2014年に日銀は量的・質的緩和の拡大を決定。2016年に日銀はマイナス金利付き量的・質的緩和の導入決定。日本の長期金利が初のマイナスに。長短金利操作付き量的・質的金融緩和を決定。

2018年に国債取引の決済方式はT+1となった。


編集部より:この記事は、久保田博幸氏のブログ「牛さん熊さんブログ」2019年4月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。