万葉集から生まれた「令和」の和風と漢風

加藤 隆則

昨日の新元号(中国語では「年号」)「令和」決定のニュースは、中国のSNSでも最大級の関心を集め、多くの若者が実況中継を見守った。発表が当初の予定より遅れたことに、「日本人も遅刻するのか」などとジョークも飛び交った。フィギュアスケート、羽生結弦選手の大ファンという学生からは「『羽生』の年号を期待していたので残念」とメッセージが届いた。発表後にはすぐ、出典にちなんで梅をあしらった画像も出回った。


中国から伝わった元号は645年の「大化」から始まり、今回の新元号は248番目になるという。異なる民族による王朝の交代や革命を経た中国は、しばしば伝統の断絶を経ている。天皇が途切れなく存在し、それとともに伝統文化が形を変えながらも脈々と受け継がれて日本を見て、中国人は自分たちの忘れ去られた文化の原型を感じる。元号もまたその一つである。

てっきり中国の古典から引用されると期待していた中国の学生は、「初の日本古典」に少しがっかりしたようだった。だが、よくよくみれば万葉集第五巻「梅花の歌」序文の原文は以下の通り、中国にならった文体である。

「梅花謌卅二首并序
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」

私がこの原文を微信(We-Chat)で紹介すると、王羲之が蘭亭曲水の宴で書き残した「蘭亭序」を読んでいるみたいだ、という感想を寄せてくる学生もいた。日本の歌集とはいえ、非常に身近に感じたようだった。

「令月」は、中国の古典『儀礼』士冠礼や「後漢書」明帝紀に、「令月吉日」の記述があり、吉祥の月を示す。「令」にはもともと、美しいものを形容する意味が含まれている。日本の古典とは言っても、中国の影響が色濃く残っている。われわれがふだん目にする万葉集はすでに書き下されているが、歌の原文はすべて表音文字としての漢字、いわゆる万葉仮名が用いられているのである。

梅の花自体、中国から伝わったもので、梅に対する審美観もまた一緒に取り入れられた。だから万葉集には「萩」に次ぎ、「梅」を歌ったものが二番目に多い114首にのぼる。その後、ひらがなが用いられ始めた古今和歌集では、桜が61首で最も多く、梅の28首を大きくしのいだ。ひらがなの誕生によってようやく、日本人本来の感性にあった美的感覚が表現できるようになったのだ。

「漢風」の色濃い万葉集だが、「風和」の「和」を取り入れたことで、和風の風合いが生まれた。初めて日本の古典から元号を引用した意味もここに読み取ることができる。

ただ漢字二文字の条件が付いている以上、日本人が作り出した和製漢字・国字でも使わない限り、中国の影響を脱することはできない。あまり日本独自の文化を強調しても意味はない。むしろ漢字文化を受け入れ、それを独自の仕方で継承し続けてきていることを再認識することにこそ意味がある。この点で、日中の共感も生まれるからだ。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2019年4月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。