4月3日の産経新聞「主張」は「台湾海峡情勢 中国は危険な挑発やめよ」と書いた。
偶々筆者は台湾の総統選挙に関する投稿で、蔡総統のシンクタンクとの懇談や独立派の頼清徳候補のことを書いたので、「主張」がそれらに触れているのを興味深く読んだ。
そこで台湾を巡る米中対峙の経過を振り返り、両国の本気度を探ってみた。果たして書き終えてみると自分でも予想しない結論になってしまった。が、所詮は「在野」の素人の与太話、読者諸兄姉には笑って読み飛ばしてもらいたい。
キッシンジャーの対中外交の信念
遡るときりがないので起点は1971年1月のキッシンジャー極秘訪中に置いた。本年2月26日のCourrier紙はキッシンジャーとスティーブン・バノンによる2017年8月のニューヨークタイムズの対談記事を載せた。
キッシンジャーは対中強硬論を説くバノンに「米国と中国は一般的には既に“敵”とみなされかねない状態にあるのだから、部分的にでも協調するべきだ」と述べた。記事は、「彼(キッシンジャー)には、貿易と投資を通じて中国を孤立から救えば米国の安全も保障され、中国もまた西側陣営のようになるという強い信念があった」と続く。(太字は筆者)
訪中当時のキッシンジャーに中国が西側陣営のようになるとの信念があったというから少々吃驚だが、事実だろう。東洋史家の岡田英弘も「台湾の命運」(弓立社)で中国がニクソン訪中を受け入れた背景をこう説明している。
「(文革で)中国共産党組織が完全に破壊され・・行政能力も亡くなったし、生産はどん底、食料も極端に不足し飢餓が全土に広がり、国家として統一を保てそうもない状態で、共産党統治はこのままでは続かないことははっきりしていた。そうなると、当時米国はベトナム戦争の最中でしたが・・北ベトナムを裏切ってでも米国と手を結ぶしか・・生き残る方法はない…」
当時、米国経済も低迷し1965年からのベトナム戦争も泥沼化していたし、両国にはソ連の覇権への対抗も焦眉の急だった。71年10月に国連が中国を承認した時、米国は反対票を投じた。が、翌年2月のニクソンの上海コミュニケや79年1月の二つ目のコミュニケ(カーター政権が中国を唯一の政府と承認)を見ればそれが形だけだったと知れる。
折しも当時の中国の指導者は不屈の客家、鄧小平(1904年-97年)だ。鄧は後に韜光養晦と称される「目立つことをせず徐々に力をつける」政策をとった。米国と組むことによって、文革で傷んだ国家体制を外交と経済の両面で修復しつつソ連の覇権に対処する途を選んだのだ。
岡田によれば民主党カーター大統領とブレジンスキー補佐官コンビは78年9月のイスラエル・エジプト和解成功の余勢を駆って、その直後に台湾海峡問題の解決に向け北京政権承認の交換条件として、後の台湾関係法の根幹となる以下の三項目を中国に申し入れた。
- 米国は台湾に引続き武器を売却する
- 米国は台湾問題の平和的方式による解決を公式に声明する。中国はこれに反対しない。
- 中国は米国が台湾に非公式代表を置くことに同意する
中国憲法前文には「台湾は中国の神聖な領土である。我々は必ず台湾を解放し、祖国統一の大義を成し遂げなければならない」とある。が、岡田はプラグマティストの鄧小平が「祖国統一というのは台湾の独立を認めることだ」とこれを丸呑みしたとし、鄧の考える統一を次のように解説する。
(鄧のいう)統一とは両岸に平和的な関係を樹立して自由に往来できるようにすることで、必ずしも台湾が中国の一省になるという政治的統一ではない。だから単一の国家にならなくても良いということ。中国のその後の文書や声明の統一とはそういう意味であり、台湾の独立を事実上認めるから、台湾も独立といわないでくれと…これが中国式の言葉・文字の使い方です。
かくて米国政府は中国を承認した。が、米議会は同年4月に実質的な米台軍事同盟である台湾関係法を決議した。蔡英文が今回懇談した保守派シンクタンクの一つヘリテージ財団が2005年12月に出した「本当に『中国は一つ』なのか」(草思社)は台湾関係法を次のように要約する。
「(台湾を)国内法で国家として認める」目的で制定され、米中の外交関係樹立は台湾問題を「平和的手段によって」解決するという中国の約束に基づくもので、米国は台湾への「武力行使又は他の威圧的手段に対抗し得る能力を維持し」、さらに「台湾が充分な自衛能力を維持するために必要な量の防衛性の兵器や役務を供給する。
そして1981年1月に共和党レーガン政権が誕生する。ヘリテージ本によれば、台湾関係法の目玉である台湾に対する武器売却を何とか形骸化したい中国は82年6月にヘイグ国務長官から武器売却は短期間との言を引き出した。が、それを知ったレーガンは即座にヘイグを切って国務長官をジョージ・シュルツに替えたという。
同年8月17日のレーガンと趙紫陽(実質は鄧小平)の三つ目のコミュニケでは、ぎりぎり「台湾への武器売却を段階的に減少させ、一定期間を経た後に最終的解決を図る」とした。が、同時にレーガンは国務長官と国防長官の署名入りで以下の大統領命令を出した。
…このコミュニケの署名に至る交渉は次のことを前提として進められた。武器売却の削減は台湾海峡の平和次第であること、そして台湾問題の平和的解決を目指すという中国政府の「基本方針」が継続されるかどうかで決まるということだ。…さらに台湾に供給される武器の質と量は、全て中国による脅威に応じて決定される。
ソ連崩壊後の米・中・台
それから10年が経ち91年末にソ連は崩壊した。レーガンが崩壊させたとの論もある。中国承認の大前提の一つだったソ連の覇権が消滅したのだから、少なくとも米国には中国に甘い顔をする理由はなくなったはずだ。しかも89年6月の天安門事件の傷を引き摺る中国は、その後の経済急成長の緒にまだ就いていない。なぜ米国はこの時点で「二つの中国」に舵を切らなかったのだろうか。
そして中国は90年代から台湾と小三通・三通・ECFAなどを結び経済交流を活発化させた。特に92年コンセンサス(一つの中国。中国の解釈とは逆)を容認する国民党馬英九が政権を奪回した2008年からは台湾企業の中国進出が劇的に増加した。多くは直接投資でなくバージン・ケイマンなどのタックスヘイブンや香港経由で、世界No.1のノートPC組立などは9割以上が中国に移った。
中国商務部報告によると2009年の中国の輸出企業TOP-8のうち何と6社が台湾企業(1、3、6、8位はノートPC組立)。最近のデータは不詳だが7位にいるファーウェイがおそらくトップで、台湾企業の地位は相当低下しているのではあるまいか。
<>は本社所在地、右端は出資元。
1)達豊(上海)電脳 <バージン諸島> 台湾Quanta
2)鴻富錦精密工業(深圳) <サモア> 台湾Hong-Hai
3)仁宝信息技術(昆山) <バージン諸島> 台湾COMPAL
4)富泰華工業(深圳) <ケイマン諸島> 台湾Foxconn
5)諾基亜(中国) <フィンランド> ノキア
6)緯新資通(昆山) <バージン諸島> 台湾WISTRON
7)華為技術 <中国>
8)名碩電脳(蘇州) <バージン諸島> 台湾ASUS
一方の米国、93年からのクリントン政権は当初こそ民主党らしく中国の人権問題を非難し、李登輝に母校コーネル大での講演もさせた。が、反発した中国が台湾海峡にミサイルを撃ち込むと、空母派遣こそしたものの直後に台湾に対する三つの不支持(台湾独立・二つの中国・台湾の国際機関加盟)を表明し中国寄りに傾く。
2001年1月からの共和党ブッシュJr.政権も海南島事件があった当初は対中強硬だった。が、9.11テロが起こると対テロ対策で中国と宥和した。中国は2005年3月に、「台湾独立」を掲げる勢力には非平和的手段をとってでも国家主権と領土保全を守ることを趣旨とする「反国家分裂法」を成立させたが、この法案はブッシュJr.が次の出来事で見せた隙に付け込んでのものと筆者は考える。
即ち、民進党・陳水扁政権は2004年3月の総選挙に合わせ中国のミサイル配備に反対する国民投票を企図した。結局、低投票率で不成立だったが中国は極度に警戒した。だのにブッシュJr.は陳水扁の「発言と行動」は「現状を一方的に変える意思決定をしようとしている」と遺憾の意を表したのだ。
オバマは飛ばす。トランプは2017〜18年で台湾に17億ドルの武器売却をした。昨年まで10年間の総額は150憶ドルを超えたそうだ。政策面でも18年3月の台湾旅行法、同10月のペンスドクトリン、翌年1月のアジア再保証推進法と中国牽制策が矢継ぎ早だ。台湾贔屓だったレーガンの「let’s make America great again」を模した「Make America great again」を掲げるトランプらしい。
一方の中国。オバマ時代からの南シナ海基地をほぼ完成し一帯一路も着々だ。今年に入ってもトランプからの圧力の合間を縫って1月の「一国二制度」習演説や「主張」にある中国戦闘機の台湾海峡中間線越えなど、何かにつけての台湾挑発もまめまめしい。
しかし駆け足にしろ71年のキッシンジャー訪中からの経過をこうして振り返ると、台湾を挟んで米中が果たしてどれほど本気で対峙する気があるのかと訝しくないか。もちろん目下の米国の中国に対する貿易不均衡是正や知財不正盗取など経済面での攻勢は苛烈だ。が、こと台湾に限ればどうか。
中国は台湾資本を人質に取って脅威の経済成長を遂げたし、米国も台湾への武器売却に余念がない。台湾を食い物にしている、とまではいわない。なぜなら台湾だって先に国民投票で台湾名での東京五輪参加を大差で否決した(きっと仕方なくだろうけど)。
これらをどう考えるべきか。結局のところ米中も(そして台湾も)今のままが結構心地良さそうではないか。少々大胆過ぎる結論だが、少なくとも米中の武力衝突などとてもあり得ず、仮にあってもそれは「注射」に過ぎないのではなかろうか。台湾好きが高じて些か牽強付会が過ぎたかも。
高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。