主権者たる個人が形成する社会の「和」--- 丸山 貴大

「発達課題」という言葉があるように、個人は社会から一定の課題や役割を課され、それを達成することが望ましいとされる。その一つに、アメリカ合衆国の発達心理学者で精神分析家のエリクソンが提唱した「自我同一性(アイデンティティ)」がある。それは、青年期における発達課題とされ且つ最も重要とされる課題でもある。

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自我同一性とは「『私』という存在が何者であるか」という問いに対し、固有の答えを確立していくものだ。つまり「私」が「私」である証を見つける作業でもあるのだ。

「私」という唯一無二の存在を模索するに際し、他者の存在はどのような影響を及ぼすことになるだろう。他者の存在が「私」を萎縮させ、他者に同調した偽りの「私」を演じさせる。それは自我同一性の確立を大きく阻む要素であろう。そのような劣等感や葛藤から脱却し、ありのままの「私」であることが自我同一性の確立に向けた一歩であろう。

一方、自分とは異なる他者を知り、理解することによってもたらされる刺激により、新たな価値観の形成に繋がるかもしれない。色ん(異論)な人との交流は「私」を活性化させてくれる活動なのかも知れない。つまり「私」は何も一人で形成されるものはなく、少なからず他者の影響を吸収した存在であるのだ。

そのような過程を経ることにより、社会から押しつけられる「ふつう」という画一的な圧力から脱し、固有の存在を彩る「らしさ」を獲得することができよう。それこそが「私」の証なのだ。ただ、その存在が法的、社会的に容認され、その尊厳が確保されるかは不透明だ。

とりわけ、今年2月14日に始まった日本初の同性婚訴訟[1]が象徴するように、LGBTをはじめとする性的少数者らの尊厳をどのように保持していくかについては大きく問われている。ある小説[2]には以下のような一節がある。

「オカマとかホモとかオネエとか。LGBTとかトランスジェンダーとか性同一性障害でさえも。どんな言葉もまるで心に馴染まなかった。おぼろくんがそのどれに当てはまるのかなんて考えたくなかった。そんな言葉でおぼろくんを推し量る必要なんてどこにもない。だって、おぼろくんはおぼろくんじゃないか」
(犬飼鯛音『はんぶんこの、おぼろくん』KADOKAWA、2019年3月28日、185頁)。

秩序ある統制の取れた社会を望むのであれば、一定の型に準拠した体系を構築することになるだろう。つまり、客観的な「私」を後押しすることには消極的になる。それは、張りぼての多様性であり、(絶対的)平等な社会だ。

一方、一人ひとりを個人として認知し、その存在に息吹を投じることを目指す社会は、含蓄のある多様性である。お互い様の精神に基づく相互承認のある社会は自由な社会だ。

自由な社会は相対的な平等であり、それは公平でもある。そしてなにより、個人を埋没的に見るのではなく、そこに尊厳を見出そうとする。

そこにおける最大の問題は、自由の主体である個人と、その集合体である社会との調和である。それらの関係をどのように調節していくのか、常に問われている。

それは政治の力量であり、何よりも民主主義社会における能動的な主権者の行動を伴う。一方、それがない主権者は受動的な生活保守者であり、沈黙の塊だ。

そのような人々の声なき声をすくい上げる為政者はどれ程いるだろうか。誰某が悪い、という自分勝手な論理に基づき、消極的な行動に走る与野党の為政者は選挙における票に惑わされ、政局の真っ只中に存在している。

本来であれば、多様性に満ち溢れる大衆の中に飛び込み、目や耳を傾け、個人の問題をあぶり出し、各委員会において然るべき議論及び予算配分が行われるはずではないのだろうか。有権者一人ひとりの厳粛な信託に際し、票に書かれた候補者名や政党名だけでは把握しきれない個人の想いや願い、苦しみや葛藤をどこまで政治は斟酌することができているだろうか。

もとい、そのような訴えを主権者は積極的に行っているだろうか。民主主義の潤滑油として蠢いているだろうか。やはり忙殺の日々にそのような暇はないだろう。

仕事、家事、育児、介護等、政治的諸課題に直面する主権者の代表者、代弁者足り得る政治家は、一時の風に飲み込まれるポピュリストではない。地道にコツコツと忍耐強く、利害調整を行い、最大公約数の合意形成を図っていく。

それは一見すると優柔不断に見えるかもしれない。しかし、政治は時間を要するものであり、一朝一夕にどうこうできるものではない。そして、完璧もなければ正解もない。ただ一つ、時代に即した「和」があるのだろう。

[1]日本初の同性婚訴訟。原告になったのはどんな人たち? 6組のカップルの横顔と思い(ハフポスト)
[2]はんぶんこの、おぼろくん(KADOKAWA)

丸山 貴大 大学生
1998年(平成10年)埼玉県さいたま市生まれ。幼少期、警察官になりたく、社会のことに関心を持つようになる。高校1年生の冬、小学校の先生が衆院選に出馬したことを契機に、政治に興味を持つ。主たる関心事は、憲法、安全保障である。