拝啓、上野千鶴子様:私は不幸なのですか?

田中 紀子

拝啓 上野千鶴子様

はじめまして。
私、ギャンブル依存症問題を考える会という団体で代表をやっている田中紀子と申します。

ウィメンズ アクション ネットワークYouTubeより:編集部

上野先生の東大入学式の祝辞、賛否両論渦巻く中、私たちに繋がりのある援助職らの皆さまは絶賛されている方が多く、そのコミュニティの中で、このような意見を述べるのも、
「やっぱあいつはバカだ!わかってない。」
と言われそうですが、その通り!バカを自認しておりますので、恐れることなく是非とも私の気持ちをお伝えしたいと思います。

まず私は、上野先生がおっしゃる所の、

世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、
がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。
がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

にあてはまる人間です。

そもそも勉強も嫌いでしたし、家庭内がいつもワイルドすぎて落ち着いて勉強できる環境でもありませんでした。
また、あまりに貧乏だったので、勉強よりバイトして目先の金を稼ぐことの方が私にとっては重要でした。

そしてそういう貧しく機能不全の家庭にありがちですが、親はまさしく私の「ドリームキラー」で、私の希望をぶったぎるような人でした。

そして「いつかここから這い上がってやる!」と気合を入れて生きてきて、いいところまで行ったのですが(笑)、御多分にもれず依存症を発症し、ズタボロのどん底を味わい、その後回復して今があります。

さて、先生は東大女子は合コンで「東大」と言えないとおっしゃっておられましたが、何もそれは社会の差別ではなく、単にその人の計算もしくは傲慢さではないでしょうか?

その東大女子がそこに来ている男全部を「自分よりレベルが低い」と見下していたなら、
「プライドを傷つけちゃマズイから本当のことを言うのはやめよう!」
と思うでしょうし、学歴で人生全てが決まるわけでもなし!と思っていれば
「東大だよ~」と素直にお答えになる気がします。

また先生は、

女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。
ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?
愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。
だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

とありますが、私は子供の時から顔も性格も全く可愛くありませんでしたし、どちらかと言えば、他人に守られるより、他人を守ってあげたい!と強く思ってしまう姐御肌です。

家の中でも子供のころから、親に頼られ、早くから親子逆転現象が起きていました。
実際全然モテることもなく、学園のアイドルのようなかわいい女子たちを指をくわえて眺めておりました。

しかしながら不思議とそれなりに彼氏ができたり、なんと結婚は2度もしました。
先生のおっしゃる理論ですと、全く可愛げのない私は、誰からも愛されず、選ばれず、守って貰えることもないといった気分になりますが、実際は、愛され、パートナーとして選ばれ、充分守って貰ってもいます。

今の夫などは、私の活躍を全面的に応援サポートしてくれ、経済的にも精神的にも相当な無理難題を吹っ掛けおびやかしてきたような気もしますが、とにかく私の希望は何でも叶えてくれようとしてくれる有難い存在です。

また学歴があるから可愛げがないという理論も、学歴がある人の罪悪感もしくは傲慢さに感じます。

この世の中は、可愛げもない上に学歴もないという私のような女もいますし、学歴があっても可愛げがあるという人もいます。
先生はもちろん心の持ちようをおっしゃっていらっしゃるのはわかるのですが、そもそもこの世で男子が女子を選ぶ基準は学歴や性格より、顔やスタイルという元も子もないプリミティブなことだったりします。

また、金持ち男は美人で家柄も良く、高い教育を受けた妻を選びますから、今や格差は顔面偏差値にも及び、東大女子のような高学歴女子の方が、顔もかわいいという、まさに天は二物も三物も与える状況となっています。

まるで愚痴のような状況になってしまいましたが、私が申し上げたいのはここからです。
では、このような格差社会の底辺、学歴社会の落ちこぼれ、ましてや依存症という理解されない病気を抱え、確かに私も差別され続けておりましたし、今も度々悔しい思いをしております。

けれども私は決して不幸ではありません。
そして無力でも無気力でもありません。

先生は、東大生に

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。
恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、
そういうひとびとを助けるために使ってください。

とおっしゃいました。
有難い言葉で、真っ向反論するつもりではありません。

ただ、この言葉ではまるで、東大に行くような人の上には悲しみや苦しみ不幸なことはおこらず、助けを必要とするような人生にはならず、私たちのような、学歴もなく環境にも恵まれなかった人たちは、東大出の偉い人達によって救い出されるかのようです。

ここで私も傲慢かましてよかですか?

オイオイ東大出たって、京大出たって生きづらい人なんかいくらでもいるし、使えね~やつだって、稼げない奴だって、コミュ障だって色々いるだろ~よ!
おめ~らだけ不幸に見舞われないわけでもないし、おめ~らの考え一つで社会が動いてる訳でもね~んだよ!

…と、思いっきり不良少女炸裂してしまいましたが、沢山の家族相談を受けてきて、もちろん東大出のご家族もいらっしゃいましたが、別にいずこも普通に良い事悪い事「禍福はあざなえる縄のごとし」に起きています。

目が覚めるような経歴をお持ちのご夫婦で、お金も有り余っているように見えても、夫の浮気や愛人問題で長い間ゴタゴタしていたり、プライドが高すぎてなかなか自分を変えることができなかったり、世間体や自分の所属しているソサエティでの評価が気になり、家族の心の健康よりもそちらを優先してしまったり、地位や名誉に縛られて不自由な人達も沢山みています。

頭で考え過ぎて、行動ができない人、お金持ちなのにドケチで、社会にお金を還元出来ない人、自分のメリットにならないことはやらない人、様々な面倒くさい人達と出会い、今もつきあっています(笑)

そういう地位も名誉もお金もある人達が、学歴も地位も名誉もない、私やその他同じような境遇の仲間に頼ってきたりしています。

上野千鶴子先生、どうかご安心ください。
東大出女子にも、普通にピンチや不幸な出来事は襲ってきます。
神様には選民意識などないのです。

なにもわざわざ上から目線で「あの不幸な人達をすくっておあげなさい!」と、おっしゃって頂かなくても、ある意味人生って平等なのです。
人間、その時になってはじめて「ありのままの自分」の意味を考え、個々を尊重し生きていく生き方を学べるのではないでしょうか?

またこの世は共感が大事です。
もし突然東大女子に「あなたがたを助けてあげたいのです。」などと言われたら、私たちは「お前に何がわかる!」と、おそらく激怒してしまうでしょう。
そうではなく私たちの問題は私たちが工夫していきますから、「この部分を助けて」「教えて」「協力して」と申し上げた際に、耳を傾け協力して欲しいのです。

もちろん私たちも差別や偏見を解消したいのですが、それをお仕着せでなく自分たちの問題は自分たちにイニシアチブをとらせて頂きたいのです。
そうすることで私たちには、一致団結して活動するという喜びも与えられます。

また私には失うものがないという最大の強みがあります。
私から見ると、学歴と地位とお金と名誉を持ったがために、それを手放したくないとばかりに握りしめ「忖度」「忖度」と、自分の良心を曲げて生きていく人の方がよほど辛そうで、
「助けになってあげたい!」と思ってしまう位です。
何が弱者で、何が強者かは一概には言えないと思うのです。

上野先生、人間もちろん「知」は大事ですが、その上を行くものが「愛」だと思います。
人間のこの世の使命は、「愛」がすみずみまで行き渡るために役割が与えられているのだと思います。

東大出は、その愛を行き渡らせるために「知」の部分を担当しているにすぎません。
私のようなはねっかえりは「動」を担当していると思っています。
他にも「優」「感」「美」「技」「身」「集」などなど沢山の担当者がいます。

「知」の担当者が、我々の上に立つものでもなく、全ては横並びだと思うのですがいかがでしょうか。


田中 紀子 公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表
競艇・カジノにはまったギャンブル依存症当事者であり、祖父、父、夫がギャンブル依存症という三代目ギャン妻(ギャンブラーの妻)です。 著書:「三代目ギャン妻の物語」(高文研)「ギャンブル依存症」(角川新書)「ギャンブル依存症問題を考える会」公式サイト