文在寅大統領「主流と非主流」の社会認識

長谷川 良

韓国最大手日刊紙朝鮮日報(日本語版)4月14日付で素晴らしいコラムに出会った。政治部次長の黄大振記者の「文在寅大統領が語る『美しい復讐』の矛盾」というタイトルのコラムだ。同記者は韓国社会を「主流」と「非主流」というキー・ワードで分析し、「韓国社会では主流は批判の対象であり、非主流は憐憫の対象だ」と説明し、「現政権関係者は今も自分たちを『非主流』だと考えている」と述べている。

韓国大統領府FBより:編集部

この記事を読んで韓国社会というより、文在寅大統領の思考の世界が少し理解できた気がした。文大統領には、①「善悪」の宗教認識、②「加害者と犠牲者」の歴史認識の2つの思考世界を感じてきたが、そこに③「主流・非主流」という社会認識が加わり、その3様の認識が文大統領の思考の世界を作り上げているのではないだろうか。

文大統領は金正淑夫人とともに敬虔なカトリック信者だ。そのカトリック教の教理は、神側を善とみなし、悪はその善を破壊するために攻撃を加える、といった善悪の世界が展開する。韓民族が日本に対して秘かに感じている「道徳的優位性」はそこからもたらされてくる。

文大統領はそれを日韓の歴史にも適用し、植民地統治時代の支配者の日本を悪とみなし、それに対抗する韓国を善と位置付ける。それによって「被害者と犠牲者」の歴史認識を構築していく。韓国は歴史的に強国に虐げられてきた受難の民族だ。日本は加害者であり、韓民族を弾圧してきた。韓国人に見られる犠牲者メンタリティーはそこに起因する。

そして「主流と非主流」の社会認識だ。国民は為政者に対して非主流で、政権を担う政治家は主流だ。文大統領は大統領に当選した直後、「大韓民国の主流を交代させたい」と宣言し、自身は非主流派に属すると考えていることを明らかにしている(朝鮮日報)。

「国の主流を交代させる」とは、革命を意味する。労働者階級が資本主義階級を崩壊させ、労働者主導の社会を構築するという共産主義的世界観に酷似している。文大統領は政治の恩師・盧武鉉元大統領の遺書を常に懐に持ち続け、「美しい復讐」を考え続けてきたという。大統領が考える「復讐」とは、「誰かに対する恨みを晴らすというのではなく、われわれが彼ら(主流派)とは違うことを示すことだ」と説明している。すなわち、暴力革命ではなく、生き方でその違いを鮮明にするという“高貴な決意”だ。

文大統領を含む現政権は主流を交代させるために青瓦台に乗り込んだ非主流派と考えている点までは問題がないが、「われわれ非主流派は常に善だ」という認識が余りにも強いことだ。「積弊清算」はそのような思考世界から生まれてきた。

問題は、文大統領の親族の海外移住問題が表面化し、国民からその全容解明が求められるなど、主流派を打ち崩すために政権入りした非主流派の中に検察が捜査に乗り出すような腐敗や汚職問題が浮上してきたことだ。

黄大振記者は、「大統領はもはや弱者でも非主流でもない。文大統領は財産20億ウォン(約2億円)を超える弁護士であり、この国で最高の権力者だ。事あるごとに『既得権』との戦争を叫ぶ曺国(チョ・グク)首席秘書官はソウル大教授のポストに加え、江南のマンションを含む資産が54億ウォンある。30年間マイホームを持てなかったと主張した金宜謙前報道官は25億ウォン相当の物件オーナーになって青瓦台を去った」と指摘し、ニーチェのいう「奴隷道徳」ではなく、「君主の道徳」を持ち、「自分たちは主流であることを肯定すべきだ。そうすることで世の中が違って見えるはずだ。そこで初めて美しい復讐ができる」と指摘し、記事をまとめている。

同記者の主張は非常に啓蒙的な内容を含んでいる。非主流派は責任を担わない。常に「善」側に立ち、犠牲者の立場から苦情や不満、恨みを表現する一方、責任は主流派に求める。そして非主流派から主流派に入った後も、あたかも非主流派のような振る舞いを続ける。そこには主流派として不可欠なガバナンスが欠如するから、政権の運営にも当然支障が出てくるわけだ。

文大統領は主流派になった指導者であることを自認し、真なるオーナーシップが求められている。残念ながら、文大統領は目下、非主流派から主流派に移動したことから生じるアイデンティティの危機に陥っている。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年4月18日の記事に一部加筆。