F-35墜落事故:隊員の安否に冷たい日本社会(特別寄稿)

潮 匡人

去る4月18日に発売された「週刊文春」(最新4月25日号)掲載のコラム『池上彰のそこからですか!?』(連載388)は、題して「ステルス戦闘機墜落の衝撃」。冒頭の段落から「この機体は、日本の三菱重工が最終組み立てを担当しただけに、日本の技術力に疑問が出かねない事態です」と読者の不安を煽る。

F-35A(空自サイトより:編集部)

だが、逆に言えば、「最終組み立てを担当しただけ」に過ぎない。英語で言えば、FACO(Final Assembly and Check-Out)、文字どおり、最終段階における(Final)組み立て(Assembly)と検査(Check-Out)を担当しただけ。それ以前のプロセスには関与していない。墜落事故を受けて疑問視すべきは、本当に「日本の技術力」なのだろうか。こちらこそ「そこからですか!?」と質したくなる。

コラムは「それにしても、この戦闘機が消息を絶ったという新聞記事の表現には首をひねりました」と続け、「レーダーから機影が消え、連絡が取れなくなった」と報じた読売新聞(4月10日付朝刊)を槍玉に挙げ、こう皮肉った。

「レーダーに映りにくい」のに、「レーダーから機影が消え」るとはどういうことか。

その上で「こうした記事は読売だけではありません。10日付朝刊では、朝日も毎日も日経も、同様の記事を書いています。きっと自衛隊の発表をそのまま書いたのでしょう。疑問を持つ記者は、他社にもいなかったのか」と新聞批判を展開する。

ちなみに産経新聞も同様の記事を報じていたが、池上コラムはスルー。同様に、公共放送NHKもスルーされた。おそらく意図的であろうが、その理由は正反対と見た。

さらに池上コラムは「今回の訓練では機体の位置情報などを自動送信する装置が作動していたとみられる」と報じた毎日夕刊記事(10日付)を掲げながら「位置情報の発信装置があったのですね」と納得しているが、一知半解に留まる。より正確には以下のとおり(4月15日フジテレビ報道)。

航空自衛隊によると、「安全管理のためにレーダーに映るようにしていた」 (航空幕僚監部)ということで、「レーダーリフレクター」というレーダー波の反射装置を使っていたことが考えられる。訓練によっては、ステルス性能のない外部燃料タンクなどを取り付け、あえてレーダーに映るようにすることもあるという。また、訓練中は自機の識別信号などを発信する「ATCトランスポンダ」を使い、地上の管制用レーダーで機体の高度や位置情報が把握できる仕組みになっている。

さて池上氏は「まだ捜索中です。パイロットの人命の方が大事に決まっていますが、F35Aの価格も巨額です」と触れ、コラムの最後を「機体価格は莫大です。『価格が高すぎる』という声も高まりそうです」と締めた。どこまで本気で「パイロットの人命の方が大事に決まっています」と書いたのか。かなり怪しい。

朝日新聞も同様である。4月16日付朝刊に「F35調達計画 立ち止まり原因究明を」と題した社説を掲げ、「重大な事故が起きながら、既に決めたことだからといって、この戦闘機を計画通り米国から買い続けるのか」、「トランプ大統領がF35など米国製兵器の大量購入を求めているが、防衛の根幹と隊員の命にかかわる問題である。計画ありきで、なし崩しに進めるわけにはいかない」などと主張した。

朝日社説も「隊員の命にかかわる問題」と書いたが、どこまで本気なのか、怪しい。げんにこの社説でも「パイロットはなお行方不明」と触れただけで、安否を気遣う記述はない。事故を速報した10日付夕刊記事でも、詳報した11日付朝刊記事でも、いっさい触れていない。さらに言えば、墜落機の搭乗員が、戦闘飛行隊では異例な40代であることに関心をはらった主要メディアはなかった。国家基本問題研究所「今週の直言」を借りよう。

操縦士の安否を気遣う報道が少ないと感じる。(中略)事故原因の探求の前に「まずは捜索救難に全力を」が世界の常識だと思う。無人機ならともかく、墜落前に最後の通信を発したのは血の通うパイロットだ。もっと隊員を大事に扱って欲しい。

出典:黒澤聖二・国基研事務局長「【第587回】F35A墜落の原因究明と対策を急げ」

ちなみに筆者の黒澤は、防衛大学校27期卒で、統合幕僚監部首席法務官などの要職を歴任した元海上自衛官(で私の同期相当)。上記こそ紛れもない現場のホンネを代弁した「直言」に他ならない。

私の責任でさらに言えば、「隊員の命」を口実に、自分たちの主義主張を振りかざすのは、ジャーナリスト失格である。それ以前に、人間として卑しい。

問題は、マスコミ報道に限らない。4月12日に県庁を訪れて事故を謝罪した空自北部航空方面隊司令官に「県民の1人でもあるパイロットの捜索に総力を挙げてほしい」と要請した青森県知事以外、みな日本政府や自衛隊、アメリカやF-35の価格や性能、三菱重工業などを批判したり、疑問視したりしただけではないか。

F-35戦闘機は「最後の有人戦闘機」とも呼ばれる。その次の世代は無人戦闘機となる可能性があるからだ。主要マスコミも、政治家も、地元自治体も、隊員の安否を気遣わない。大半の一般国民とて、例外でない。そんな冷血な国には、航空自衛隊やF-35戦闘機は、もったいない。まさに血の通わない無人戦闘機がふさわしい。


潮 匡人  評論家、航空自衛隊OB、アゴラ研究所フェロー
1960年生まれ。早稲田大学法学部卒。旧防衛庁・航空自衛隊に入隊。航空総隊司令部幕僚、長官官房勤務などを経て3等空佐で退官。防衛庁広報誌編集長、帝京大准教授、拓殖大客員教授等を歴任。アゴラ研究所フェロー。公益財団法人「国家基本問題研究所」客員研究員。NPO法人「岡崎研究所」特別研究員。東海大学海洋学部非常勤講師(海洋安全保障論)。『日本の政治報道はなぜ「嘘八百」なのか』(PHP新書)『安全保障は感情で動く』(文春新書・5月刊)など著書多数。