こんにちは、東京都議会議会(町田市選出)おくざわ高広です。
皆さま、投票には行かれましたでしょうか?期間内には書きづらかったのですが、今日は、今回の選挙で悲しかったこと三選をお送りし、年明けからお送りしてきた選挙あるあるシリーズを一旦閉じようと思います。熱烈なファンの皆様、ありがとうございました。
さて、以下お読みください。
悲しみ①子育て中に議員なんて無理でしょ。
私が応援していた、せお麻里さんは4歳と2歳の子育て中。その一人はダウン症で、だからこそ今変えなきゃいけないことがあるとの想いで立候補していました。彼女の街頭演説中に投げかけられた、この言葉。まさに日本の社会が潜在的に抱える問題が集約されています。
性別や年齢、出自や学歴など、社会全体が階層で別れていて、その枠の中で生きることを強いられる窮屈さ。
同じような出来事が、各所で起きていたようですが、友人の中島明さんがFBで投稿していたメッセージに深く共感したので、ご紹介します。
ぼくらの声は思っているよりあまりに小さい。
今日とある女性議員の方の選挙を応援していた時のこと、その議員さんは2才の子どもを育てながら議員をがんばってきて、まさに今回2期目に挑戦してるのだけど、街頭演説中、とある年配の女性が言いました。
「早いよ。子育て終わってからにしなさいよ」
それはもう、尖ったナイフのような言葉でした。もう、応援に駆けつけた僕ですら悔しかった。
正直このやろうとは思ったけど、そういう考え方の世代もいるよね。それは否定できるものでもない。でも、時代は変わっています。そして、つくづく気づかされたのは、いまの政治はどちらかというとそういう昔ながらの価値観の人に向いて行われているんじゃないかということ。
地元の議員さんたちを見ても、真正直にしがらみのない政治をしている人ほど、選挙は大変だなと感じます。市民感覚を大切にして、既存の政治の世界に染まらない人ほど、助けてくれる人がまわりに少ない。ぼくらが政治に無関心なあまり、志ある政治家の人たちをより孤独にさせているし、そしてぼくらのそういう態度が、志ある政治家たちを、ぼくらが嫌いな方へと変化させちゃってるようにも思う。
いろんな人が「誰に投票しても変わらない」って口にするのだけど、それは割と正しいかもしれない。でも、いい加減、せめてこっちを振り向かせるくらいはさせないと、いや、せめて手綱は離さず持っておかないと、かなり違う価値観で世の中がつくられていっちゃうんだという危うさを、今日の体験から、僕は強く感じました。
特定の団体に所属しなくなっている、若い世代の声は塊として票にはなりません。だから、政治家たちは塊としての声に耳を傾けがちなわけです。今日のやるせなさが、うまくことばにならないのだけど、でも、これだけは言えるかな。きっと、ぼくらの声は思っているよりあまりに小さい。だからこそ、もっと声を発し、声を発する人をもっと応援なくてはならないのだと思う。それぞれの進化が求められてます。
悲しみ②候補者は対等じゃないのか…
選挙においては、お互いの主張をぶつけ合うので、街頭演説の場所取りなどにおいて、時折小競り合いが起きてしまいます。その際、お互いの事情を慮り、調整(交渉)をすることが不可欠なのですが、うまくいかなかった例を2つご紹介します。
国政政党は地域政党より偉いのか
これは、北区長選挙で音喜多陣営に起きたことのようですが、音喜多候補の最後のご挨拶で、自民党の候補に拡声器の周波数をジャックされ、拡声器が使えなくなったようです。拡声器が互いの音を拾いあってしまうことはあるのですが、お互いに時間や場所を譲り合うのが通例です。
実際、品川区では私たちのマイクを維新のマイクが拾ってしまったのですが、先方がすぐに調整してくださり、事無きをえました。これには大変感謝しています。一方、音喜多候補はその後地声で演説を続けたとのことですから、互いの調整はつかなかったのでしょう。その場にいなかった私がとやかく言うことはできませんが、『おときたコール』に包まれたそうなので、状況は推して知るべしなのかなと。
都議は区議より偉いのか
目黒区で初挑戦の白川候補のお話。白川候補は、当日早い時間からとある交差点で活動を開始したそうで、幾人かの候補者が同じ交差点に来たものの、別の角でやりましょうということでお互いにマイクの向きなど譲り合いながら活動していたそうです。
そこに登場した、とある都議。何時に終わるんだとか、1時間ルールだとか、公選法守れとか、選管に電話してやると威圧的な態度で迫ってきたそうです。演説中にも早く終われと話しかけ、中断させる有様だったらしい…
どれだけ紳士なふりをしても、選挙は本性が出ますからね。残念極まりないです。
ただ、近くで見ていた区民の方から「うちは7人家族、あなたに7票入れるね」と声をかけてくれたそうです。見ている人は見ているんだなぁと心洗われたそうです。
お互いの言い分はあるでしょう。しかし、どんな立場の方だろうとお互いを尊重し、理解し合おうと努力するのが政治であるはず。それは議場だけでなく、選挙も含め、普段の活動から心がけたいものだなと強く思う次第です。
悲しみ③応援してほしいならガラス拾って
私が、政策ビラを配布していたところ、60代くらいの女性(Aさん)から言われた言葉です。
A「ガラスが割れてるから片付けといて。議員になりたいならそれくらいやりなさいよ。」
私「では、区役所に連絡して片付けに来てもらいます。」
A「あなたに拾えと言ってるのよ。帰りに拾ってなかったら悪口言いふらすから。」
私「ホウキやチリトリもありませんし、素手では怪我をしてしまいます。でも対処が必要と思うので、区役所に連絡をさせてください。」
A「こんなことで区役所に連絡するなんてどうかしてるわね、あなた。素手だろうとなんだろうとやればいいのよ。」
私「分かりました。やっておきますので、是非◯◯さんを応援してくださいね。」
A「そんな足し算引き算しかできない候補者なんて嫌ね。だから政治が信頼されないのよ。」
私「….(怒りを抑える)」
その後、近くの飲食店の方が親切にホウキとチリトリを貸してくださり、片付けはしました。
でも、政治家になんでも言っていいわけではないよと本気で思いました。先日、女性議員に対する「票ハラ」のニュースもありました。そもそも議員である前に、一人の人間であることを有権者の皆さまには、是非ご理解いただきたいです。
さて、泣いても笑っても、当たり前のことですが、当選する方もいれば落選する方もいます。でも、それぞれが上述のようなハードルも乗り越えて、自身の想いを伝えてきました。私は、当落がその想いの優劣を決めるものではないと思います。どんな結果になろうと、その想いを伝え、社会を変えたいと立候補された全ての候補者に敬意を表します。お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
編集部より:この記事は、東京都議会議員、奥澤高広氏(町田市選出、無所属・東京みらい)のブログ2019年4月21日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はおくざわ高広 公式ブログ『「聴く」から始まる「東京大改革」』をご覧ください。