AAA浦田氏の記者会見をじっくりと拝見しましたがものすごい違和感です。
お酒が引き金の暴力事件ですが、こんなに何もかも「覚えていない」で、終始切り抜けようとするのは、あまりにも軽すぎ誠意が感じられませんでした。
会見で当然聞かれるであろう、いつからどのくらいのんだのか?
などという質問に関して、ある程度のことは一緒に飲んでいた人等に聞けばわかることですし、精一杯のことを答えようと準備した形跡がまるでありません。
また被害者に対する謝罪もあいまいでしたし、終始「自分は楽しいお酒を飲んでいて、お酒のせいで記憶がないだけで自分は本来そんな人間じゃない。」ということを強調されていたのも、真摯に責任を受け止めている感じがしませんでした。
会見までにやったことは、髪を黒く染め、真面目に見える服装を考え、眼鏡をかけてみたという、見てくれへの配慮しかなかったのでは?と思います。
また我々背景に依存症もしくは乱用の問題があったゆえに引き起こされた事件に関しては、「これは依存症の治療もしくは専門病院等で節酒や断酒指導を受ければ再犯防止になる。」と思うことが多々あります。
そういう場合には、「罪を償い、治療に繋げて!」と訴えており、TOKIOの山口さんや、吉澤ひとみさんの時はそう思いました。
けれども今回の件では「問題の根底にあるのは依存症だ」という感じがまるでしないです。
依存症者というのは日頃から自分に問題があることを心の奥底では分かっているし、「止めなくては」と何度も止める試みをし、それに失敗して自分に絶望しています。
あまりにその自分との格闘の日々が辛くて、問題が白日の下にさらされ、のっぴきならない状態に陥った時には、表情は能面のように凍りつき、「ついにやってしまった」という後悔や自責の念と共に、心のどっかに「これでやっとやめられる」というホッとした気持ちもあり、もっと脱力感とか無力感、虚無感に見舞われています。
あんなにへらへらと何度も笑顔がこぼれたりしません。
そして間違っても浦田氏のように、お酒を飲むことが「楽しかった」などと思えません。
依存症者にとって飲むことは苦しみです。
これはアルコールに限らず、薬物、ギャンブルでも皆そうです。
依存症者は過去を振り返った時に「泣きながら、飲んだ、使った、打った」「苦しくて仕方なかった」と語っています。
実際、私も最後は買い物依存で苦しみましたけど、大量に買い物をして、店を出た瞬間から自分に絶望して泣いていました。
ですから浦田氏の場合感じるのは、もともとの背景にハラスメント体質があって、それが芸能界で売れたことでますます増長され、俺様オラオラ気質が強化され今回の事件になった気がします。
依存症者ならもっと現実の深刻さを受け止め、自分を責めているはずです。
また、この事件に対する芸能界のあり方にも非常に疑問です。
法的な被害者のいない、末端の一使用者に過ぎないピエール瀧さんの時は、自粛だ撤収だ配信停止だ差し替えだと大騒ぎになりましたが、一人の女性を殴り、蹴り飛ばすような暴力行為を行い、被害者を生み出した犯罪に対しては、自主的な活動自粛以外、第三者からの撤収、配信停止などの措置が起きていません。
もちろん他のメンバーもいらっしゃるわけですし、撤収や配信停止をやる必要はないですが、合法的薬物「アルコール」でれっきとした被害者がいる犯罪が起きた場合に対し日本はあまりにも寛容であり、被害者なき違法薬物問題に関しては寄ってたかってのいじめ体質がいきすぎています。
これは大スポンサーであるアルコール業界へのTV界の忖度や、あまりにアルコールでの問題は周りに蔓延していたり、自分も同じような飲み方をしているために、配慮されていることと思います。
日本はアルコール問題をもっと深刻に受け止め、再犯、再発の防止に対する正しい啓発を行うべきだと考えます。
そして浦田氏に対して所属事務所は、ほとぼり冷めるまでの謹慎期間とおざなりにせず、きっちりとアルハラやモラハラ、アンガーマネージメント、暴力防止そしてカウンセリングなど、ありとあらゆるプログラムで自分に向き合わせ、再出発させるかどうかの判断を下して欲しいと思います。
田中 紀子 公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表
競艇・カジノにはまったギャンブル依存症当事者であり、祖父、父、夫がギャンブル依存症という三代目ギャン妻(ギャンブラーの妻)です。 著書:「三代目ギャン妻の物語」(高文研)「ギャンブル依存症」(角川新書)「ギャンブル依存症問題を考える会」公式サイト