北区・音喜多氏は新時代の政治家でなかった !?

川松 真一朗

東京都議会議員の川松真一朗(墨田区選出・都議会自民党最年少)です。

昨日、北区長選挙の結果について当ブログ『【北区長選挙・落選!】音喜多氏は真の改革者になり得るか!?』で記しましたが様々な方からご意見が届きました。ここは、北区にこの話題を留めずに私の墨田区や他区における考え方に発展していくように更に踏み込んでおきたいと思います。当然、これは私の個人的な観点であり極端な面もある事を先に記しておきます。

音喜多氏は北区長選挙にあたって「北区のニューリーダーはどっちだ?!あたらしい党 統一地方選特設ページ」という特設サイトを開きました。そこには、ニューリーダーが必要だという主張で北区の問題点が並んでいます。

1. 人口増加率ワースト2位

2. 高齢化率ナンバー1

3. 財政危機

4. 魅力度・認知度・観光意欲度で23区最下位

という4つの視点が大きく掲げられています。

北区は本当に問題があったのか

音喜多さんなりの北区の将来への不安を羅列し、これを争点にされようとしたものと思います。冷静になってみれば、確かにこの4つを聞いただけで北区の将来は心配になります。このことを84歳になる現職の花川区長像に照らし合わせると、新しい風が必要だと思いたくなります。

北区・飛鳥山公園(Wikipedia:編集部)

でも、投票行動として若い新人候補は勝てなかった。あと一押し足りなかったわけです。単純に、既成政党、組織が現職を応援したという視点だけでは無いように思うのです。

ある意味において、先の都知事選挙、都議会議員選挙において、音喜多氏が用いた「情報公開」という分かりやすい手法を演出できなかったのではないかと考えました。上記に掲げた4つの政策がなぜ必要になるのか?それは北区役所の「ここが問題」「この改善」が必要という具体策が見えにくかった。その結果、高齢多選でも花川氏に投票された方々は「別に今の生活に困ってないじゃん」という現状を大きく変えようというマインドが醸成されなかったのではないでしょうか。

この視点は、実は私は今回の統一地方選前後半を通して感じた事で「別に誰でも一緒じゃん」「政治家なんて何もしないでしょ」的な風潮な重なるのです。この選挙で勝利した人、敗北してしまった人は数多くいるわけですが、私の身近なところでは、あんな真面目な人が落選してしまったとかあるわけです。

新しい政治って何だろう?

話を戻しますが、では音喜多さんは北区をどう変えたかったのか?これが伝わらなかったわけです。彼は「令和の時代に新しい政治」をと呼び掛けてていた様子も拝見しましたが、そもそも「北区の顔を変える事」=「新時代の政治」ではないはずです。

小池都政には賛否両論ありますが「東京都の顔」は先の知事選で変わりましたが行政機構としては変革は起きていません。争点になりそうなテーマに光を当てて「情報公開」「受動喫煙」「市場移転」などを掲げるだけで、根本から生活を変える行政あるいは政治のあり方を追及されてこなかった彼のやり方。言い換えれば、イメージ戦略の仲間を身近において、その都度その都度、自分自身が世間でどう見えているかかが先に立ってしまっている姿勢で本質にたどり着く必要もなく局面局面で勝利を収めてきたのかもしれません。

大阪都構想のパワーを感じて

私は2011年の統一地方選で大阪維新の会が「大阪春の陣」として戦い大阪府議会、大阪市議会、堺市議会で勝利した時に、橋下徹さんという人物のインパクトだけでなく、一体、大阪都構想に多くの方々が何を感じたのかを研究した時期があります。基礎自治体のあり方、住民自治とは、あるいは「地方自治の本旨とは」などの本質論に迫ろうと思ったのです。私自身も、この時期にテレビ朝日を退社し裸一貫で政治家に挑戦したものですから余計に燃えていた時期でもあります。

そこで、私はひとつの疑問にぶつかっていました。1943年の太平洋戦争のさなかで、東京府と東京市の合併の際に生まれた制度が特別区という制度です。戦時下に首都東京へ様々な事を集中させようとした特殊な状況下に起因します。それがなぜ、大阪はこの時代に約70年も前の体制を目指すのかという疑問を持ち、大阪都構想の根本にある大阪府政、市政等の行政機構のあり方を考えたのでした。このあたりは、それから数年後に柳ヶ瀬都議に話を聞くことになりましたが。

私はあくまで東京の人間ですから、感じることや変革の思いは異なるので、ここでの言及は避けます。が、そこでです。一昨日のブログでも記しましたように、私達がやるべき事はこの23区特別区のあり方そのものに手を付ける事です。但し、現実的な視点で決して過激にならない範囲でと考えております。実際に、都区制度の在り方はその時代時代で変わりつつあります。

よく、23区は東京都の子会社的に思われている方も多いのですが、実際は違います。ただ、2000年4月までは「都の内部団体」という位置づけでしたが、同年4月1日から法律上の「基礎的な地方公共団体」となりました。言い換えれば、自治権拡充運動で23区が勝ち取ってきた歴史があります。さらに、東京都から23区特別区にという権限委譲という動きは熱を帯びており、児童相談所もその議論で俎上に載っています。

あたらしい党は何が新しかったのか

区長選で遊説中の音喜多氏(編集部撮影)

私は過激論者ではありませんが、音喜多さんは「あたらしい党」を名乗るならば、こういった昭和に確立されてきた北区の自治制度を、令和の時代に沿ったもののあり方にしようと大胆に提言していたら、大阪都構想のような注目を集めたかもしれません。

私自身は花川区長を応援する側(更に言えば音喜多手法に反対する側)として、この風の起こし方を警戒していました。しかしながら、出てきたのは「北区の名称変更」でした。「これが北区は市を目指そう」などという言い方だったら、もっと多くの住民が自分達の基礎的自治体を見つめたのではないでしょうか。

では、私の地元で墨田区を市にしようとは今は言えません。それは都区財政調整度というものとセットで考えなくてはいけません。これは何かというと、本来は市町村税に該当する固定資産税・市町村民税法人分、特別土地保有税の3税いわゆる「調整3税」は23区では東京都が徴収しています。さらに徴収した税を、55%は23区、45%は東京都という比率で分配するものです。

この55%は財政調整交付金として23区に財政の需要予測を加味されながら分配されます。港区などはその必要がないと判断されて財政調整交付金は入っていません。つまり、私とすれば、墨田区の行政機構改革を進めて、墨田区という自治体が「稼ぐ力」を持つ必要があると考えています。

ここで述べているように、戦時下体制に起因する23区特別区制度はいつ変化をするか分かりません。もしかすると、大阪維新のようなムーブメントが起こらないとは限らないのです。いつ財政調整交付金制度が変わったとしても対処できる収入増の方策を墨田区として考えておく必要があると思います。

音喜多氏は令和の政治家なのか?

つまり、何を言いたいかというと、音喜多さんが令和の時代と言っても、そもそも昭和のシステムに乗った議論じゃんと思ってしまうのです。平成もあと1週間というのに、議論している土俵が新時代ではないなと彼の行動を見つめていました。当然、23区制度については音喜多さんなりの見解はあると思いますが、やるならばそこまでやって欲しかった。小池知事が「都民ファースト」というんだからより一層に踏み込んだ都民視点の議論を。

だからこそ、終盤で勢いはあったもののより多くの方の魂を揺さぶれなかったのではないかと考えてしまいます。音喜多さんという、ある意味で時代の寵児は現職に敗れたわけですが、これは新時代にリーダーに成りうるというご自身のマインドもあるのだろうと思います。つまり、今の時点では「令和」という新時代の区長としては音喜多さんを求めないという区民の意思が示されました。

これから在野の政治家となり、その発信力をフルに活用して、大胆な北区改革、23区改革案が出てきた時に、また世間の目は変わってくるでしょう。今のままでは「令和の政治家」ではなく「平成終盤にネットで目立った政治家」になってしまう。ネットを活用していなかった政治家が多かった時代に誰より早くネットを手にしたから目立っただけだということです。

誰もがネットを手に持つ新時代に特色をどう出せるだろうか。センスはあるのだから、彼の突破力を期待している今日この頃です。

川松 真一朗  東京都議会議員(墨田区選出、自由民主党)
1980年生まれ。墨田区立両国小中、都立両国高、日本大学を経てテレビ朝日にアナウンサーとして入社。スポーツ番組等を担当。2011年、テレビ朝日を退社し、2013年都議選で初当選(現在2期目)。オフィシャルサイトTwitter「@kawamatsushin16」