「侵略の呼び水」という存在
世界史において国内の闘争で劣勢に立ったものが、それを打開するために外国に支援を要請し、外国の支援に基づき闘争の勝利者になることが度々ある。
例えば古代ローマ帝国の残存帝国であったビザンツ帝国は帝位継承を巡り、闘争の当事者の一方が第4回十字軍の協力のもとで帝位を奪取した。
しかし帝位奪取に協力した十字軍への褒賞が十分に払えなかったため同軍による首都の蹂躙を招き帝国自体が滅ぼされてしまった。帝国は後に残存皇族の活躍によって復活したが往時の勢いは取り戻せなかった。
このように外国の支援に基づく勝利では、勝者は結局のところ外国の影響下に置かれてしまうか最悪、滅ぼされてしまう。
自らの勝利のために外部勢力の介入を招き入れる、その介入が軍事的なものだった場合、招き入れた者を「侵略の呼び水」と呼んでも差し支えないだろう。
日本の歴史において国内の闘争の劣勢を補うために外部勢力の軍事介入を招き入れたという事実はない。
その理由はシンプルに日本が島国だったことであり、そもそも外部との連絡・交流に制約があったこと、また、島国ゆえに外部勢力にとって軍事介入のコストは高く介入を要請されても応じられなかったからだろう。
しかし通信・運搬技術は現在進行形で著しく発達しており、その勢いが留まる気配はない。
現在においても島国の安全保障上の優位は国家間が陸続きの状態になっている大陸国よりはるかに高い。しかし通信・運搬技術の発展によりその差は縮まっていく一方だし、今後、日本社会では外国人労働者が増大していくのは確実であり彼(女)らが日本国内で独自の政治的コミュニティを形成する可能性も否定できない。
外国人の政治的コミュニティが発達し、それが日本人と何らかの理由で衝突し外国人側に不利になった場合、彼(女)らが「本国に支援」を求めることも十分に考えられる。
もちろん人道的次元での「本国に支援」は認められる。しかし「本国に支援」が人道的次元に留まる保障はない。
管見の限り「侵略の呼び水」への対策は議論されていない。前例がないうえに直接的な侵略に対してすら議論が低調なのだから「侵略の呼び水」への対策が議論されないのもある意味、当然とも言える。
狙われる都道府県の首長
沖縄県の玉城デニー知事が中国への「一帯一路」に「沖縄を活用する」ことへの意欲を示した。このことについてアゴラでも新田氏が論じている。
「一帯一路」に意欲的な玉城知事:自治体外交の危険な暴走(アゴラ:新田哲史)
中国の「一帯一路」が単なる平和的経済圏の建設ではなく中国の政治的軍事的影響力の拡大を目指した覇権戦略であることはよく指摘される。露骨な軍事侵略が出来ないのならばまず経済的次元で圧倒的影響下に置き、頃合いを見て「恫喝」して相手を屈服させるという手法は容易に想像できる。
「一帯一路」は「侵略の地ならし」という性質が含まれているのは間違いなく、だから「一帯一路」に「沖縄を活用する」ことを主張する玉城知事の姿勢は極めて問題がある。
玉城知事が沖縄を独裁国家の影響下に置くことを意図していると受け止められても仕方がなく同知事が「侵略の呼び水」の役割を果たしていると言っても過言ではないだろう。
今回の玉城知事の発言は沖縄県在住の日本人の平和を脅かす事態に発展する可能性もあることからまさに「権力者の横暴」そのものであり「権力を監視するのが使命」と言われるジャーナリズムの役割が期待されるわけだが沖縄県の代表的ジャーナリズムである琉球新報と沖縄タイムズにはそれが期待できない。
沖縄県在住で「記者」を自称する者が本当にジャーナリズムの役割を果たしているのか積極的に検証されるべきだろう。
また、この問題で議論されるべきことはやはり「都道府県」の役割である。
筆者も前に少し触れたが、やはり今回の問題は「都道府県」の役割が中途半端であることも一因だろう。
地方自治法では都道府県と市町村の優劣は規定されていないが住民との距離、接触頻度を考えれば地方自治の「主役」が市町村であることは明らかであり都道府県の役割は市町村への「支援」と国との「中継基地」に過ぎない。
地方分権というと「国から地方へ」という表現で説明されることがほとんどだが内閣府のHPを見てもわかるように、その内容には「地方から地方へ」とも呼べる「都道府県から市町村へ」の権限移譲の議論も含まれている。
しかし都道府県は市町村よりもネームバリューが圧倒的だから野心家にとって都道府県の首長は人気があるしジャーナリズムの国政介入の拠点になりやすい。
昨今、国政を揺るがす都道府県の首長と言えば玉城デニー氏と小池百合子氏の両氏だがこの二人の国会議員時代の実績はほとんど記憶にない。要するに「都道府県の首長」とはその程度の人間に狙われてしまう役職なのである。だから今回の玉城知事の発言を契機に都道府県の役割を改めて検証すべきだろう。
それにしても地方自治の主役でもなく安全保障にも責任を持てない主体がそのどちらも破壊しかねない役割を演じているというのは恐ろしいことである。
領域侵略は「オール・ジャパン」で
沖縄県の米軍基地を巡っては「外交・安全保障は国の専管事項である」という言説がよく聞かれる。
現役の地方自治体の筆者からするとこの言説に誤りはないと考えるが、一方で違和感も覚える。というのも地方公務員は国民保護法に基づき日本有事の際に住民保護(警報伝達、退避の指示等)の一定の責務があるからである。
幸い「日本有事」の事態は起きていないし求められている住民保護(警報伝達、退避の指示等)も大規模災害事態の延長という意識しか持てないのが現実だが地方自治体が安全保障に関しては一定の責務があることは確かなのである。
筆者は現在の沖縄県の姿勢に反発している立場だが、一般論として沖縄県が一地方自治体として外交・安全保障に対して意見を述べることは正当な行為と考える。
筆者が沖縄県、というより玉城知事の姿勢に反発を覚えるのも政策決定の根拠が薄弱で沖縄の平和に貢献しているとはとても思えないからである。
現在の沖縄県の米軍基地問題の議論の混乱の原因はあくまで玉城知事とその支援者とそれらを批判しないジャーナリズムの問題であることを忘れてはならない。
「外交・安全保障は国の専管事項である」という言説は誤りではないが、議論の活性化に結びつくとは限らず、地方自治体に安易に「被害者」の地位を与えてしまう恐れすらあることに注意すべきだろう。
それにしても外交・安全保障についてはもう少しシンプルな視点が必要ではないか。
外国の侵略を許してしまえば全行政組織が影響を受け、国と地方自治体の権限の問題などどこか遠くに行ってしまう。だから、少なくとも日本の領域が脅かされる外交・安全保障事案については「オール・ジャパン」の姿勢で臨むべきである。
「侵略の呼び水」はどこにいるのか?
今回の玉城知事の発言を受けて同知事と中国共産党との関係を疑う者も出て来るだろう。その視点は必要だが、一方で玉城知事の発言からはどこか「軽薄さ」を感じないだろうか。前記したように玉城知事は国会議員時代に特に実績は残していない、その程度の人物である。
彼は「侵略の呼び水」の勢力の一員かもしれないが、決して「大将」「本丸」の類ではない。それは知事選への出馬経緯を見ても明らかだろう。
だから今回の件を契機に日本国内に居る「侵略の呼び水」への考察を深めることが求められる。
高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員