●内政に於いては、ナショナル・ミニマムを伴いつつも自助に舵を切る事。
●外交に於いては、国際的大義を伴う長期的国益の追求。
令和への改元に当たり、もし筆者が新時代の日本を方向付ける指針を掲げるとするならば、上記2点を挙げたい。
平成から令和へ
日本は、平成の時代を終え令和の時代を迎えた。振り返れば平成の時代は、戦火に見舞われなかった平和の時代ではあったが、経済成長が低調に推移して相対的国力が大きく後退し、国民の幸福感も低下した混迷の時代であった。
これは、少なからず「平成」の2文字が持つイメージのマイナス側面が、主体性無き事勿れ主義として目先の利益と安寧を求める事を隠然と助長した結果であった気がする。プラザ合意による円高ドル安に対処出来ず、方向性なく流れて行った末のバブルの発生と、金融失政によるその急激な破裂と、税制を含めた内政の失敗の連続でその後の低迷を招いた。
この事から筆者は、新元号については、もう少し積極的なイメージの字を使うべきと考えていた。このため、「令和」と聞いたときの第一印象は、音の響きから冷たい感じ、消極的なイメージを受け、ネガティブな評価をした。しかし、積極的なイメージのために「興」とか「栄」とかが入ると何やら不動産屋っぽいし、「武」等を入れる訳にも行かないだろうから、選択肢は限られたのだろう。
「令和」の出典が、中国の古典にルーツがあるものの、漢文でありながらも日本の古典である万葉集の序文から取った物である事には、聖徳太子が隋の煬帝に送った国書にある「日出る処の天子…」の一節や遣唐使の廃止にも通ずる自主独立の気風が感じられる。
令和と国の指針
さて、筆者はこのように元号が我が国の盛衰に少なからず影響を与えると考えるものの、当然ながら最も大切なのは、国民の主体的な意識であり国の指針である。
筆者は、改元に当たっての国の指針として、内政に於いては冒頭のように、ナショナル・ミニマムを伴いつつも自助に舵を切れという事を掲げたい。
個人に於いては、自らの稼ぎと蓄えによって賄う事を基本とし、社会保障は年金を含め止むを得ず窮したときに利用する、「文字通りの保険」として再度位置付ける仕組み作りが必要だろう。
地方自治に於いても、各自治体の自主財源で運営する事を基本とし、然は然り乍ら住民サービスのナショナル・ミニマムを維持するために地方交付税等で下駄を履かすものの、これを恒久的な下駄と時限的な下駄の2つに分け、後者を15年乃至20年程度で逓減させ自立を促すような仕組みが必要だと思う。
外交とは、国際的大義を伴う長期的国益の追求に他ならない。改元に当たっての外交に於ける国の指針としては、筆者はこれを掲げたい。
世界を取り巻く最も大きな課題として、中国の台頭による米中覇権戦争と、イスラムの人口増も手伝う中東の混乱がある。
大国の興亡として、米国に代わり中国による覇権確立は理屈の上では在ってもよいが、少なくとも共産党一党独裁で信教言論の自由が許されておらず、少数民族に対する人権蹂躙が平気で行われている今の中国による支配を許せば、世界は暗黒に覆われる。
このため、日米同盟を基軸に、露、印、欧州、アジア諸国等、加えて進んではイスラムの世俗化穏健化を図りこれを加え、中国包囲網を完成させその牙を抜き、国際社会の善き住人となってもらわねばならない。
一方で、日米同盟を中心とするも、日本は主体性を持ってイラク戦争のような筋の悪い大義無き戦争に加担する事は避け、イスラム・中東の安定に向けても国際的大義と長期的国益の追求を以て米国への忠告も含め対処する必要がある。憲法改正に際しては、そのエッセンスをビルトインする事が望ましいだろう。
日本が国として栄え、四海に大義を敷く。令和を迎え、国民は心新たに気概を以て臨む必要がある。
佐藤 鴻全 政治外交ウォッチャー、ブロガー、会社員
HP:佐藤総研
Twitter:佐藤鴻全