憲法記念日:憲法を語れない政党に明日はない

早川 忠孝

憲法記念日は「りっけん」をアピールする最高のチャンスなのだが、さて、活かせるかのかな?

かつての民主党気質にどっぷり浸かっている人は別だが、立憲民主党の若い国会議員の中にはそれなりに面白そうな人がいる。

さて、本日の憲法記念日に立憲民主党はどういうアピールをするだろうか。
来るべき参議院選挙では立憲民主党は「りっけん」という略称を使うそうだが、手垢がついて、ひょっとするとマイナスシンボルにもなりかねない「民主」という言葉から卒業しようというのは悪いことではない。

「りっけん」では中途半端で、やはり立憲主義を標榜するのなら堂々と「立憲」と名乗ってもらいたいものだが、「立憲」では如何にも憲法改正に前向き、積極的なように受け止められるということを慮って「りっけん」と平仮名にしたのかしら。

本日の憲法記念日に立憲民主党がどういうメッセージを出すのか注目している。

枝野氏、山尾氏(ツイッターより:編集部)

折角の憲法記念日だから、立憲民主党として立憲主義に立脚した憲法改正案ぐらい出してもらいたいものだが、今の枝野氏にそれだけの力があるのか。

相変わらず共産党や社民党と同じように自民党の憲法改正草案や自民党の改憲項目批判に終始してしまって、何らの提案もしなければ、立憲民主党は折角の党勢拡大のチャンスを潰してしまうことになる。

山尾志桜里さんの憲法改正試案でも出してくれば、立憲民主党はそれなりに憲法改正に前向きなんだな、ということになるが、共産党や社民党と同じようなことしか言わなければ、結局は日本の政治を託すに足りる政党にはなれないんですね、ということになる。

令和の時代は、あたらしい国造りの時代になる、という認識が必要である。

憲法を語ることが出来ない政党には、明日はないはずである。

令和の時代。憲法改正論議に一向に向き合おうとしない政治家は、政治の場から退出すべし

自民党の憲法改正草案には賛成出来ないが、何はともあれ憲法改正の発議だけには漕ぎ着けてもらいたいものだ、と考えている。

国民投票法の改正の議論がようやく本格的に進むようだが、議論倒れでいつまでも結論を出せないようでは困る。
自民党としては、呑めるところは呑んで、さっさと結論を出すのがいい。

国論の分裂を招くような事態は避けるべきだが、私が見ている範囲では、現時点で出てくる憲法改正議論はそう大したことにはならない。

憲法9条を廃止したり、象徴天皇制を否定したり、緊急事態条項を書き入れたりして現行憲法秩序を根底から改変しようとしない限り、大方の国民が許容できる範囲内の憲法改正議論に留まるはずである。

まずは、国会での議論を尽くすべきである。
国会で十分議論して、次に国民の議論に委ねるべきである。

今の状況では、国会での議論も国民の間での議論も殆ど進んでいないから、憲法改正の発議は無理だろうと思うが、やれることは今の内にしっかりやっておくことだ。

その内に、憲法改正発議の環境が整ってくる。
慌てずに、急げ、というところか。

憲法改正論議に向き合おうとしない政治家は、いずれ淘汰されるはずである。

令和の時代の国民は、新しい国造りの構想を求めている。
これに応えることが出来ない政治家は、次の世代の人に席を譲るべきである。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2019年5月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。