「おひとり様ライフ」という言葉を広めたのは上野千鶴子東京大学名誉教授だろうと思います。氏は著書で(連れ合いに先立たれるなどで)おひとり様の老後が好む好まざるにかかわらず到来する時代、むしろ、おひとり様ライフと上手に付き合い、楽しもうと奨励しています。
歪んだ見方かもしれませんが、連れ合いに先立たれた女性は案外その後、積極的で外交的になり、自分の人生を満喫されている方が多いように感じます。(対照的に男性が一人残されると案外しょぼくれている方が多い気がします。)
テレビ東京の「孤独のグルメ」は一人外食を徹底して追及した番組で深夜番組にもかかわらず、長寿となり、シリーズもシーズン7まで到達しました。まだまだずっと続きそうです。なぜ、一人で食事をするのか、といえば現代社会において一人自分の世界に浸ることが何も不思議ではなくなったからでしょう。
事実、この番組が一部の人で根強い人気となる中、多くのレストランがおひとり様を積極的に迎え入れるような経営体系に代わってきたことも事実です。「おひとり様焼肉」というのはこの番組が出来た初期の頃にはあまり見かけないスタイルだったもののこの数年、雨後の筍のように増えたのは食事は自分だけの世界に浸れる究極の追求である、という社会要請の反映なのでしょうか。
子供たちのライフも「おひとり様」かもしれません。一人っ子が当たり前になった今、子供の目線から見れば学校から帰れば大人しかいない世界です。大人の見るテレビも会話もつまらないのでどうしてもゲームにはまっていきます。ゲームはクラスメートなどと通信で繋がってやり取りしながらのプレーで、画面を通じたSNS状態になっています。それは私から見ればやはり「ひとりの世界」であります。理由はいつでも参戦し、いつでも止められるし、相手がいなくなれば一人でも続けられるという我儘が可能だからです。
日経の連載「令和を歩む」に脚本家の北川悦吏子氏の「『ひとり』発が咲く時代へ」という記事があります。「大勢の人が集まって何かをなし遂げることが美徳だったのはもはや過去のことではないか。『自分発』のアイデア次第で新たな物事が動いていく、個の可能性に満ちた時代が始まっている」と述べています。
私の言う全世代型「おひとり様ライフ」とはまさにこのことを言っています。一人っ子世代が徐々に浸透してきたのは昭和30年代からで、最近、いろいろな方とお話をしているとびっくりするぐらい一人っ子ばかりです。そういう私も一人っ子で、そのメンタルの基本は「自分の世界」なのだろうと思います。
兄弟がいなかったから協調性がないとかグループ活動が苦手だと当時の学校の先生は我々のことを欠陥人間のごとく論評していた記憶がありますが、今は社会全体がおひとり様になってしまったことは素直に受け止めなくてはいけません。
ドラマ「相棒」は超長寿番組となりましたが、特命係という2人のチームを現代社会が受け入れていることに気が付いた方はいらっしゃるでしょうか?かつての刑事ものドラマは5人とか7人とかもっとチーム力を発揮するようになっていたのですが、今は2人で問題解決に挑むのです。私が時々読む刑事ものの小説も主人公がほとんど一人で問題に立ち向かうシナリオ設定になっており、かつての数名のグループ活動のような展開は減ってきています。
本当の意味での「個の時代」がやってきたとなれば社会全体に与える影響は計り知れないものがあります。特に会社での働き方は激変するとみています。いわゆる欧米型の少数精鋭で一人ひとりに職務と責任と与え、一人で考え、問題解決に立ち向かう時代が来るかもしれません。
稲盛和夫氏の「アメーバー経営」は5-6人という単位でした。会社の机の「シマ」も7-8人でしょうか?長年言われたチームワークが崩れ、個々の能力に依存する時代がやってくることに多くの意見はあるでしょうが、否が応でもそれを受け入れざるを得ない社会構造なのです。
もっと言えば家族の絆が緩くなることも長い期間で生まれてくるかもしれません。
そんな時代、すべての人は強くないという点もしっかり認識すべきでしょう。一人では生きていけない人、落ちこぼれる人、助けを求めている人…をどう救うのか、社会とどう同調させるのか、これは喫緊の課題となると考えています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年5月6日の記事より転載させていただきました。