江口克彦さんが、5月4日のFacebookに、「70数年前の憲法をこのまま改定しなければ 憲法によって 日本国は衰退するだろう」という書き出しで、「鮮烈な投稿」をされた。
何れも「駆け足で、言葉足らず」の感があるのは否めないが、数多くある「日本国憲法の不備や欠陥」の幾つかを、簡明かつ的確に指摘されている。
私も、20年ほど前までは、「中学・高校で教え込まれたこと」をそのまま鵜呑みにし、「日本国憲法は、平和国家(あるいは、民主国家)日本の礎となる素晴らしい憲法である」と思い込んでいたが、改めて自分で熟読してみたところ、あまりにも「酷いところ」(あるいは、「承服し難いところ」)が多く、唖然とした。
特に、「心正しく生きる」ことを重視する「日本人の国民性」や「人間の心は、本来、自由である」という「人間哲学的な真理」が殆ど反映されていないことには、「日本国憲法の前提となっている思想」に根源的な疑義を抱かさせられた。
更に、念のためと思い、ネット上で「定番とされている英文」と付き合わせてみると、あちこちに、「明らかに日本文と意味が一致しない箇所」や「意図的な誤訳(実は、GHQ案を日本語に翻訳した時の誤訳?)としか思えない箇所」が散見された。
それ以来、私は、著書や論文で、しばしば、「日本国憲法の不備や欠陥」(更には、「日本国憲法のあるべき姿」)を具体的に示してきたが、残念ながら、私のような「社会的影響力が皆無に等しい一国民」の見解は、学会は勿論、マスコミや言論界で、一顧だにされないのが現実である。
しかし、「江口克彦さんが公にされた見解(あるいは、感想)」となると、状況が大きく異なる。
江口さんは、松下幸之助の「秘蔵っ子」とも言われた方で、PHP研究所の社長や参議院議員を務められただけでなく、松下政経塾の創設や運営にも深く関わられた方なので、政財界やマスコミに対する影響の大きさは計り知れない。
また、これまで、「政財界に一定の影響力を持つ人物が、日本国憲法の条文全般にわたる批判を具体的に提示した事例」は皆無に等しいので、少なくとも、今後の憲法論議に大きな一石を投じたことは間違いなかろう。
現在、「憲法に関する議論の立場」は、「現行の日本国憲法を否定する立場」(特に、第9条の改正を目指す「改憲派」)と「現行の日本国憲法を肯定する立場」(特に、第9条の意義を強調する「護憲派」)に大別され、更に詳しく見ると、前者には「第9条のみに否定的な立場」・「日本国憲法を無効とする立場」(あるいは「一旦、大日本帝国憲法に戻して改正すべきとする立場」)・「現行の日本国憲法を廃止し、新たな憲法を制定すべきとする立場」などがある。
一方、後者には「前文の思想を高く評価する立場」・「第九条のみに肯定的な立場」・「第9条以外の幾つかの条項を支持する立場」などがあると考えられるが、私の知る限り、「改憲派の方々」も「護憲派の方々」も、殆ど大半の方々が「憲法の全文」(更には、英訳文)を熟読吟味されていないため、「日本国憲法を過大評価(あるいは、不当に正当化)されている」のではないかと思われる。
思えば、「戦後生まれ」の多くの国民は、(かつて、私自身もそうであったように)初等中等教育の段階で、「世界に誇るべき素晴らしい憲法である」・「この憲法によって平和な日本が実現する」などといった教条的な前置きの下で、単純化された基本原則(国民主権・平和主義・基本的人権の尊重)を教え込まれたため、自分自身で吟味らしい吟味をせず、盲目的に日本国憲法を是認してきたのではなかろうか。
しかし、近年、「日米両国の歴史的な資料」が公開されるにつれ、「戦後の憲法教育」は、実は、「民主主義の肯定を名目としたアメリカの肯定」(および「全体主義の否定を口実とした日本の否定」)を大前提としたものであり、「国民に憲法を絶対視させる」ことが中心的な課題であったことが明らかになりつつある。
少々言い難いことであるが、「戦後の憲法教育」は、「国民の意識を一定の方向に向けるための政治的な洗脳教育であった」という意味において、その構造は、「韓国の反日教育」と大差がないのかもしれない。
「新しい日本の時代」が始まった今、多くの国民は、「日本国憲法には、第9条以外にも、早急に検討すべき不備や欠陥が多数ある」ことを十分認識した上で、憲法に関する議論を丁寧に重ねるべきであろう。
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三輪 真之(みわ まゆき)計画哲学研究所・所長、工学博士
1946年岐阜県生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(都市計画専攻、博士課程)修了。1972年に計画哲学研究所を創設。東京デザイン専門学校講師・早稲田大学客員教授・国士舘大学講師などを経て、現在は「新しい日本を創る会」代表。2016年から「知る人ぞ知る現代のソクラテス」と称してfacebookを開始。