大津事故:交通事故被害者の尊厳をどう尊重するか

大津市の保育園児死傷事件の余りの悲惨さに、ショックを受けた。被害者に全く非がないにもかかわらず、唐突に、悲劇に襲われるというのは、戦争、虐殺、テロ、津波や地震や土砂崩れ等の被害と同じだ。私は平和構築という分野を専門にしているため、紛争後国に行ったりすることが多く、凄惨な事件があった現場に行くこともしばしばある。感情を抑えるのが難しい。

NHKニュースより:編集部

私の父親は弁護士だった。私が物心ついたころから我が家に車はなかった。父親が取得した運転免許を更新しなかったからだ。「交通事故の被害者・加害者の弁護をしているうちに、免許を更新する気持ちが失せた」とよくつぶやいていた。私自身は、国際政治学者になり、家族を車に乗せて出かけることも多い人間になったしまった。ただ、亡父の言葉は、この歳になってもまだよく覚えている。

事故現場のストリートビューが涙を誘っている。

大津事故:現場ストリートビューに彷彿とさせる園児の姿に涙(アゴラ)

今回の事故当事者と同一かはわからないが、事故時を彷彿とさせる園児と保育士さんの姿が、あまりにけなげだからだ。

園児が飛び出さないように細心の注意を払い、道路から離れて園児を守っている保育さんたち。そして園児たちがその保育士さんを信頼して、手をつないで見上げている姿。

園長先生らの記者会見の悲惨だった。疑いなくマスメディアによる被害者に対する二次災害である。大きなマスコミ批判が起こっているという。

大津事故:保育園の記者会見で巻き起こるメディア非難(アゴラ)

非難は当然だ。日本のメディアは、つまらない話ばかりしていないで、いくらなんでももう少しは自分たちが持っている社会的役割の意味について素面になって真剣に考えるべきだ。というか、常識を働かせて立ち止まることができるようになるべきだ。常識というのはつまり、人間の尊厳を尊重する姿勢を、何よりも優先させる、ということだ。

事故の被害者や遺族の方々だけではない。園長先生や保育園のことが心配になった人たちも多いだろう。手助けする方法ないのか。

今後、散歩に出かけることできるだろうか。琵琶湖を目の前にして、子供たちを外に出してあげたいだろう。フラッシュバックと戦う苦痛を和らげるためには、行政が安全に散歩に出かけるための車両手配を支援するなどの措置をとることはできないだろうか。

そのとき事故現場の近くに行くことができるだろうか。行きたくないだろう。しかし避けることができるだろうか。忘れたくないだろう。関係者や市民が、事故の心配なく合掌して犠牲者の冥福を祈る空間を作ることはできないものだろうか。

紛争地帯では、事件の現場の保存が大きな議題になる。モニュメントが作られることもある。世界遺産化された広島の原爆ドームはそうした動きの世界史的な象徴だ。だが原爆ドームも、保存の是非や方法で意見が大きく分かれ、保存決定までには20年以上かかっている。被爆者の気持ちを考えると、時間をかけて決めていくのは、仕方がない。保存には費用もかかる。市民全員の理解も必要だ。3・11の被災地では、南三陸町防災対策庁舎の保存問題も、揺れ続けている。

ストリートビューに映った後、無残にも破壊されたフェンスは、第三者の私有物ではないかと思われる。保存は想定されないだろう。だが園児たちが圧し潰されてしまったというフェンスを、あっという間に除去して処分してしまうつもりだろうか?もしそうだとしたら、代替措置は何かとれないのか。

次に園児たちが散歩に出る際には、嫌でもドライバーの視界に入る「保育園児散歩中、気をつけろ」という旗や看板でも出してほしいくらいだ。何百メートルも手前からそれが識別できるように支援できないだろうか。事故現場を通ると、全てのドライバーが事故のことを思い出さざるを得ないような空間は作れないものだろうか。

もちろんこれらはすべて関係者の気持ちを尊重するということを大原則にしたうえで、検討されるべきだろう。しかし、たとえば事故現場の尊厳を保つ、という点について、再発防止のためにも、何か配慮ができないか、考えてみてもいいのではないか。そういうところから、人間の尊厳を尊重する、という当たり前の気持ちを、人々が取り戻すきっかけを作っていけないか。

篠田 英朗(しのだ  ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、ロンドン大学で国際関係学Ph.D.取得。広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、現職。著書に『ほんとうの憲法』(ちくま新書)『集団的自衛権の思想史』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)など。篠田英朗の研究室