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東京のことを想う つづき。
海は絵になる。
ル・アーブルでモネは日の出を描き、印象派という名を残した。
そこで生まれたラウル・デュフィは南下し、鮮やかにニースを彩った。
(Molilloのパスタ)
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その近くの海岸で、ジャン=リュック・ゴダール「気狂いピエロ」、顔にペンキを塗ったフェルディナンが爆死する。
最後に、ランボーの太陽に溶け込む地中海が広がった。
(白身魚の黒パスタ)
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気狂いピエロの海は、溝口健二監督「山椒大夫」、厨子王が盲人となった母と再開するラストシーンへのオマージュだ。
佐渡の「達者」が舞台である。
世界の映画史に輝くそのラストシーンは宮川一夫キャメラの芸術。
2018年、京都国際映画祭で宮川一夫特集を組み、映像の系譜を世界に問うた。
(ピスタチオと生エビのスパゲティ)
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フェリーニ「甘い生活」のラスト、疲れたマルチェロが砂浜で見るのは、醜い怪魚の死骸。
マルチェロは対岸で叫ぶ美少女に「チャオ」と背を向ける。
「8 1/2」、同じ海岸で、同じくマストロヤンニ扮するグイドは、ルンバを踊る怪女サラギーナに「チャオ」と別れを告げられる。美しい。
このローマ郊外、オスティア海岸は「ソドムの市」撮影後にパゾリーニが殺されたことでも知られる。
(エビとチーズのパスタ)
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海底に潜んでいた「ゴジラ」は東京に上陸してくる。
「崖の上のポニョ」は福山の鞆の浦からやってくる。
海は異界である。
(みみたぶパスタ)
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だが川島雄三「幕末太陽傳」は、居残り佐平次のフランキー堺が「地獄も極楽もあるもんけえ。俺はまだまだ生きるんでえ。」と捨て台詞を吐き、品川の海沿いの道を走って逃げていくラスト。
海は地獄であり、海は極楽であり、海は生であり、海は未来だ。
(タコの巣窟という店で食べた焼きタコ)
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どうもすみません。
東京は広く、おもしろい。
変化し続けている。
世界とつながっているようで、孤高。
まだまだ手つかずの鉱脈であり、料理人が腕を振るえる食材です。
東京をもっとおもしろくして、つなげる。
CiPはその役に立ちたい。
それが言いたかったのです。
(タコチーズサンド)
さて、東京で消耗しようかな。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2019年5月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。