私、行田邦子(こうだ くにこ)は、8月に行われる埼玉県知事選挙に出馬することを決意いたしました。ここに、私の埼玉に対する思いを綴らせて頂きます。
埼玉は今、チャンスにあふれている
これまで12年間、埼玉県選出の参議院議員として誰よりも、県内各地を自らの足で歩き、自らの目で現場を見て、自らの耳で県民の声を聞いてきたと自負している。そんな中で、「埼玉は今、チャンスにあふれている」と肌身で感じている。
たとえば、ネギの産地で有名な深谷。渋沢栄一翁が一万円札の顔になることが決まり、渋沢栄一記念館には、発表からの2週間で約4,600人が訪れたという。これは、これまでの来場者の約4か月相当にあたる。渋沢栄一が深谷の偉人として広く知られるようになることは、深谷のチャンスであると同時に、埼玉のチャンスである。
ヒノキで有名な飯能では、3月にムーミン・バレー・パークがオープンし、地域が湧いているだけでなく、飯能地ビールも話題になっている。来年にはピックルスコーポレーションの漬物テーマパークもオープン予定。飯能は今や、ブレーク・ポテンシャルの宝庫。飯能が魅力を放てば、埼玉のイメージも変わる。目に見えるチャンス、潜んでいるチャンス。埼玉は今、チャンスにあふれている。
平成から令和へ、県政も新しい時代へ
上田清司知事が、これまで平成時代後半の16年間、埼玉県政の舵を取られた実績に敬意を表し感謝を申し上げたい。
けれども、今の埼玉県政を見ていて、この先、県政が停滞してしまうのではないかと危惧している。政策の発想も、課題解決の手段も、手法も、パターン化してしまい、新しいものが生まれない。埼玉各地にチャンスがあふれる今、県政が停滞している場合ではない。時代は平成から令和へと、変わった。埼玉の各地にあるチャンスを、しっかりと具体化していくためには、平成スタイルから、新しい令和スタイルへと埼玉県政を進化させなければならない。県政も新しい時代を迎える時が来たのだ 。
県政を進化させる、3つの視点
平成から令和へ、新しい時代の県政へと、3つの視点から、埼玉県政を進化させたい。
1.県と市町村の関係をダイナミックに変える ~市町村を下支えする県へ~
お上としての埼玉県から、支援する埼玉県へ、そして、これからは、市町村を下支えする埼玉県へと変えていく。例えれば、市町村はパズルのピース。しかも、それぞれが個性豊かな彩りにあふれている。そのパズルの土台となるのが県。土台がしっかりしていて初めて、「彩の国 埼玉」のパズルが完成する 。
埼玉県はまとまりがない、とか、郷土愛に欠けている、などと言われることもあるが、埼玉の歴史を振り返れば、それも無理のないことである。中世の埼玉県域には、武蔵武士と呼ばれる武士団がいくつも形成されたが、いずれも中小規模に過ぎず、北武蔵をみずから統一的に支配するには至らなかった。江戸時代には、江戸の後背地である埼玉県域は、天領、旗本領、藩領と細分化されていた。明治維新直後の廃藩置県では、岩槻県、忍県に加え、浦和県、品川県、小菅県などが統合されて埼玉県となり、入間県と当時の群馬県が合併した熊谷県などが後に合流し、現在の埼玉県が誕生した。
埼玉は、各々の歴史と成り立ちが異なる地域の集合体なのである。だからこそ埼玉には誇るべき多様性がある。その視点に立てば、あくまでも主役は各地域であり、基礎自治体である市町村だ。埼玉県は、各々の市町村の発意を尊重し、各市町村の熱きサポーターとして、汗をかく存在となるべきである。市町村を下支えする県へと、県と市町村の関係をダイナミックに進化させるには、全県一律の施策を押し付けるのではなく、極論すれば、市町村ごとのオーダーメイドの対応が必要となる。もちろん小児医療の無料化など、市町村がバラバラに実施するのではなく、県が統合して合理化すべきこともある。
2.決算なくして予算なし、決算重視の県政運営へ
12年前、民間企業の会社員から国会議員となり、まず驚いたことは、国の行政機関があまりにも決算軽視であること。予算編成に多くの労力と時間を割くが、そのプロセスには、決算を見ることが抜け落ちている。今でこそ、国の行政機関もPDCAなどと言うようになったが、民間と比較してまだまだ予算偏重・決算軽視である。決算は、次のステップへの大事な踏み台であるはずだ。
埼玉県も同様の状況にある。毎年9月頃に公表される前年度の決算報告書では、事業と決算の関係が把握出来ず、各事業や施策の費用対効果も明らかとならない。国における会計検査院の検査に相当する、会計監査も形骸化しているのではないか。決算なくして予算なし。決算重視の県政運営へと進化させるためには、予算編成プロセスの改革や、県民にもわかりやすい決算報告への改善が必要である。また、県民の代表者である県議会のチェック機能にも期待したい。
3.埼玉を隅々まで幸せにする ~現場の声を聞き・活かす県庁へ~
コミュニティの維持が困難な群馬県境の限界集落、河川に挟まれた東北部の軟弱地盤地域、保育士が東京に流出してしまい待機児童が増え続ける東京隣接の市、急増する外国人住民との共生に手さぐりの県南の市、大雪の時に孤立化した秩父の山奥。東西南北、私は、埼玉を隅々まで幸せにしたい。
就職氷河期に卒業した人達も今や40代、埼玉でも増加する熟年層の引きこもり。仕事と子育てに追われて行政に何かを訴えるゆとりもないシングルマザーと子ども達。敬老会など地域の行事にも姿を見せないひとり暮らしの高齢者。そんな埼玉の人々を、隅々まで幸せにしたい。
強い人、力のある人々の大きな声は聞こえやすいが、弱い人達の声は、待っていても行政には届かない、聞こえてこない。埼玉を、そして人々を、隅々まで幸せにするために、見えにくいところ、聞こえない声に意識を研ぎ澄ませ、現場の声を聞き、その声を活かす県庁へと、意識改革が必要である。知事が言ったことをかたちにする職員だけでなく、知事には届かない現場の声をすくい上げて活かす職員もまた、評価されるべきである。
未来への投資が必要、今は、積極財政の時
これまで、上田県政では、堅実に県債を減らしてきた。その努力に敬意を表するが、今は積極財政の時。道路や河川や鉄道網などのインフラ整備に積極投資をすることで、より住みやすい埼玉になり、結果として人を呼び込むことにもなり、産業集積や企業立地の契機となる。ゼロ金利時代の今こそ、積極投資をすることは、将来世代への贈り物となり、足下の経済をも刺激する。むろん、財政出動は、未来への賢い投資であるべきことは言うまでもない。
互いに切磋琢磨しあう県議会と知事の関係へ
ここ数年の埼玉県政で最も深刻なのは、県議会と知事の関係。多くの県民が 、この状態が続くことは不幸であると懸念している。知事と議会多数との対立に終止符を打たなければいけない。不毛な対立ではなく、馴れ合いでもない、互いに切磋琢磨しあう県議会と知事の関係へと、修復すべきである。
知事との対立ばかりがクローズアップされる県議会だが、実は、埼玉県議会は、全国でも類を見ないほど執行部へのチェック機能を果たしており、また、執行部に対して建設的な提案を次々と行っている。議員提出の条例成立数は、全国一である。一問一答の予算委員会は、まさに真剣勝負。埼玉県議会は、昭和から平成へ、そして令和の時代へと、既に、新しい時代に合わせた変革の只中にある。予算案や様々な条例案など、県民にも見える表の舞台で、議会と執行部が建設的な議論を交わし、県民のために開かれた県政へと進化させていきたい。
私は民間企業で18年間働き、県選出の国会議員として12年間務めてきた。民間の視点と、県内各地を歩いてきた経験を埼玉県政に活かしていきたい。行政は私にとって新しい世界だが、自分の足らざる部分を人に補ってもらう能力は誰にも負けないと自覚している。能力と意欲にあふれる職員、議員、そして何より県民の知見を活かし、各地から活力が湧きあがる新しい埼玉県政を築いていきたい。
行田 邦子 参議院議員(希望の党、埼玉選挙区)
1965年、岩手県遠野市生まれ。東京蒲田の小さな工務店で、住込みの職人たちに囲まれて育つ。国際基督教大学卒業後、電通など民間企業に18年間勤務(2度の転職や契約社員を経験)。2007年7月、参議院選挙(埼玉県選挙区)で初当選(現在2期目)。第186回通常国会で参議院消費者問題に関する特別委員会委員長。日本大学校友会埼玉県支部顧問。公式サイト。