私が医者になったころ、がんの手術は拡大手術が流行だった。化学療法が進歩し、放射線療法もがん組織だけ狙い撃ちする技術が格段に向上し、今や、拡大手術は過去の遺物となった。乳がんなど、術後に肋骨の形が皮膚の下に浮き上がってくるような姿が普通だったが、部分切除が主流となり、乳房再建術も普通に行われている。
世の中の知見が急速に増え、新しい技術が生まれ、選択肢が広がり、患者さんの多様性が重要視される中で、日本で根付いたがんの標準療法は頑迷さを増しつつある。かつて、「拡大手術をしなければ外科医でない」時代があったが、今は、「標準療法に従わなければ、腫瘍専門医でない」時代の感がある。しかし、これはAIロボットでもできる医療だ。
私は大阪大学の第2外科神前五郎教授に、「患者さんの状態を正確に把握する」「目の前の患者さんに行っている治療行為がベストかを問う」ことを教わった。『白い巨塔』が放映されるたびに、浪速大学と財前五郎の類似性から、白い巨塔のモデルでは?と疑われるのがお気の毒な、立派な医師研究者だった。白い巨塔で例えると、里見医師に近いタイプだったように思う。私が研究者の道に進んだきっかけを提供していただいた恩師でもある。
「患者さんの状態を正確に把握する」は、正に、現在のプレシジョン医療につながる考えである。この歳になって振り返ると、この恩師の姿勢が、私を「オーダーメイド医療」に導いてくれたような気がする。
しかし、残念なことに、マニュアル化医療の跋扈によって、「目の前の患者さんに行っている治療行為がベストかを問う」姿勢は失われつつある。今日の医療に反省がなければ、明日の医療の改善につながるはずもない。こんな単純な発想もできないほど、標準化医療は日本のがん医療を蝕みつつある。
私は、1990年代半ばから、人類遺伝学会の理事・理事長として、遺伝病のカウンセリング問題に携わってきた。遺伝性疾患は、遺伝性のがんを除いて、私の専門ではないが、カウンセリングの基本は、押し付けではなく、患者さんの自己決定権の尊重である。あくまでも、相手の目線で、患者さん自身が判断するのを補助する役割が求められる。
これに比して、今の標準医療と称する、患者さんに対する高圧的ともいえる医師の姿勢は、医療の本質とは程遠いものだ。今日も、私の親しい医師が、「80歳のがん患者が、医師の提案する抗がん剤治療を拒否したところ、診療拒否された」「免疫療法と言ったところ、紹介状も書かないと言われた」と嘆きのメールを送ってきた。統計学的にも確立された治療法がないがんに対しても何も考えず、この横柄な、人を人と思わないような態度は私には理解しがたい。
遺伝カウンセリングの世界ならば、資格はく奪に相当するような最低の態度だ。私が人類遺伝学会の理事長ならば、そしてこのような事実を知れば、絶対にこの医師の臨床遺伝認定医資格のはく奪を提案する。この考えが通るかどうかは自信がないが。
しかし、残念ながら、国立がん研究センターを頂点とする腫瘍内科医の徒弟制度に組み込まれた人たちには、このような態度をとる医師が少なくないのが現実だ。医療現場から、人間的な温かさが失われつつある。
今日の失敗から学び、明日の医療の進歩につなげる。目の前の患者さんには血が流れている。これを忘れたら、医療の末期だ。
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2019年5月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。