時事通信は5月15日夕方、いわゆる徴用工判決に関して韓国の李洛淵首相が「政府対策には限界」と述べた記事と、この発言に対し菅官房長官が記者会見で「解決策を示すべきは韓国側だ」と述べた記事をたて続けに配信した。
李洛淵首相の発言を韓国の朝鮮日報、東亜日報、中央日報、ハンギョレそして聯合ニュースでチェックしたが、なぜか朝鮮日報が「韓国首相、出口見えない韓日関係めぐり苦悩を吐露」との見出しで報じているのみで、他紙には記事が見当たらない。
朝鮮日報の記事は以下のようだ。(太字は筆者)
李首相は「韓日関係の進展を妨げているさまざまな問題は、歴史に由来するものだ」として「人権に対する国際的な規範が今以上に普遍化する流れがあり、歴史による問題やそれによって傷ついた方々の問題は避けられない」と説明した。
さらに「これを韓国も日本も受け入れるところから出発するしかないのではないかと考える」として「過去の問題は知恵をもって対処しつつ、未来志向的な関係を阻害しないようにしようと文在寅大統領も提案したが、日本が受け入れていない状況だ」と述べた。その上で「日本が受け入れ、共に知恵を出し合えばよいと友情の提案をしたい」と付け加えた。
どれも引っ掛かるが、先ず「国際的な規範が今以上に普遍化する流れがあり」との発言。特に人権問題などが過去に比べて強く主張されるような流れがあることは事実だ。が、一方で過去の出来事に現在の物差しを当て、今の法律を遡及適用してはならないことも明らかだ。
1965年の日韓基本条約の旧条約無効条項の議論が典型的だが、韓国には、特に自分に都合の良いことにだけ、そういう傾向が極めて強く出ることを自覚してもらいたい。
文大統領のいう「日本が受け入れていない」「未来志向的な関係を阻害しないよう」な「提案」とは何なのか、管見の限りそういうものがあったことを筆者は知らない。半年も放置した挙句、「日本も受け入れるところから出発するしかない」とだけいうのを「未来志向的」とはいわない。
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本論に入る。韓国の首相が「出口が見えない」と「苦悩を吐露」し「知恵をもって対処」したいらしいので解決方法を教える訳だから、勢いかなり無理筋になる。が、そうせざるを得ない状況かどうかは専ら韓国の判断だから、構わず論を進める。
先ずは国内法規と条約との関係をみる。大韓民国憲法はそれを次のように定める。(太字は筆者)
第5条
①この憲法により締結・公布された条約と一般的に承認された国際法規は国内法と同等の効力を有する。
②外国人については国際法と条約の定めるところによりその地位を保障する。
条約と国内法の効力を同等としているだけで、そこに相克が生じた場合のことは書いていない。昨年10月末の大法院判決では、原告の請求が協定で言及のある未収金ではなく、言及のない慰謝料だとしてこの相克を巧妙に避けた。それは以下の判決文を見れば判る。(太字は筆者)
本件で問題となる原告らの損害賠償請求権は日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権であるという点を明確にしておかなければならない。原告らは被告に対して未払賃金や補償金を請求しているのではなく、上記のような慰謝料を請求しているのである。
3月4日のZAKZAKは、韓国の遺族会が昨年12月20日に元徴用工と遺族を原告として韓国政府に補償金を求める訴訟をソウル中央地裁に起こしたと報じた。筆者はそれに関連して2月12日の投稿に、原告の要求は慰謝料でなく同協定が言及している未収金のはずだから、韓国政府は敗訴して未収金を支払うだろうと書いた。
そこで、もしこの裁判で韓国政府に未収金を支払えとの判決、つまり韓国政府敗訴の判決が出た場合、韓国の裁判所が条約(請求権協定)の効力を国内法のそれより上と見たことになるのだろうか。
大法院判決がこの憲法第5条を前提に、「請求権協定の意味・内容と適用範囲は、法令を最終的に解釈する権限を有する最高法院である大法院によって最終的に定める他はない」としているので、その場合は条約の効力を上に見たことになろう。
では、日本の憲法ではどうか。菅官房長官はこの問題が起きた直後に「条約は我が国の三権に優先する」との趣旨を述べていたが、憲法第98条にそれに関連する条文がある。(太字は筆者)
第98条
この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第2項がそれに当たろう。条約が国内法に優先するとは明確に書いてはいないが、「誠実に遵守する」を素直に読めば、余程のことがない限り条約を優先するはずだし、官房長官の発言もこれを念頭に置いたものだろう。
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こうしてみると、韓国大法院が憲法第5条を弁えてなお、慰謝料が請求権協定に含まれないことを理由に日本企業を有罪としてしまったことが、韓国首相の「出口の見えない」「苦悩」になっていることが判る。
筆者は5月4日の投稿「文在寅大統領よ、もうとっくに司法介入しているぞ!」に、「日本の最高裁ならこのような極めて政治色の強い事案の判断は統治行為論で避けた可能性がある」と書いた。が、判決が出てしまった後ではこの統治行為論に類似する政治判断はとれないのだろうか。そうでもない、と筆者は思う。
一つは超法規的措置。国家が法律の範囲を超えて行う特別な措置で、福田内閣がダッカ人質事件で「人命は地球より重い」と犯人の要求に応じ、過激派受刑者らを釈放した事件があった。尖閣での中国体当たり漁船船長の釈放や金正男の即刻退去などもこれに当たるといえなくもないだろう。
もう一つは国家緊急権の発動。一般には戦争や災害など国の平和と独立を脅かすような緊急事態で、政府が通常の統治秩序では対応できないと判断した時、憲法秩序を一時停止し一部の機関に大幅な権限を与えたり、人権保護規定を停止したりするなどの非常措置をとって秩序の回復を図る権限をいう。
日本の憲法にはないが、多くの国の憲法に緊急権の規定があり、韓国憲法にも以下の条項がちゃんとある。
第73条
①内憂・外患・天災・地変又は重大な財政・経済上の危機において公共の安寧秩序を維持するために緊急の措置が必要であり国会の集会を待つ余裕がないときに限り、大統領は最小限の必要な財政・経済上の処分を行い、又はこれに関して法律の効力を有する命令を発することができる。
財政経済上の危機のみを想定しているようだ。確かに韓国は1997年の通貨危機と2008年のリーマンショックとで甚大な経済危機に瀕し、IMFの資金支援や日米の通貨スワップなどで辛うじて切り抜けたことがある。
それからまた10年が経った。今回の問題で日本から強烈な制裁を食らうだけでなく、もしも日韓断交などの事態を招くようなことが予測されるなら、それこそ3度目の正直、憲法第73条を発動するに値する緊急事態になるのではなかろうか。
文政権がこの2年の間にして来た司法への介入や独裁とも思える強権政治を考えれば、この政権がやろうと思えば、それこそ何でもできることは明らかだ。できないのはやらない様にしているからに他ならない。
韓国内に遠慮する者など誰もいないのだから、大法院判決など無視して、超法規的措置か国家緊急権発動をし、韓国政府が原告への補償に応じるならこの問題は直ぐに解決する。
高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。