※以下の論考は執筆者個人の意見であり、アゴラ編集部の見解を代表するものではありません。
5月16日木曜日、河野克俊 第五代統合幕僚長(任期:2014年10月~2019年4月)がメディアに登場した(「真相深入り!虎ノ門ニュース」(木曜コメンテーター有本香氏、MC居島一平氏)。統合幕僚長とは自衛隊法上制服自衛官の最高位であり他国であれば「大将」に相当する。
自衛隊創設以来、これほど高位の人がメディアに登場してその考えを丁寧に表明したことがあっただろうか。インターネット上とはいえ自衛隊幹部が広く一般国民の目に触れ、見解を詳細に説明したこと自体が画期的なことなのだが、さらに表明された考えもまた重要性だった。今回はそれらの意義について掘り下げて考察したい。
前提事実
まず、前提となる事実関係の記憶を整理したい。今から2年前となる2017年5月23日、河野克俊統合幕僚長は日本外国特派員協会で記者会見した。安倍首相の憲法改正意欲について見解を問われた河野氏は、「憲法という非常に高度な政治的問題なので、統幕長という立場から申し上げるのは適当ではない」とした上で、「一自衛官として申し上げるならば、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されるということであれば、非常にありがたいと思う」と述べた。
これに対し一部メディアは批判的に報じ、第193回国会ではある議員が安倍政権に統幕長解任についての見解さえも求めていた。
統合幕僚長に突き付けられた「連立方程式」
この会見で「憲法改正に関連する見解を問われる」という形で、河野統合幕僚長自身の言葉で言うところの「連立方程式」を突きつけられていた。レトリックとしての比喩ではなく、実態としても確かに「高度な条件が連立する」状態なのだが、複雑すぎて「どのような方程式の連立状態」なのかが即座に理解できた人は少なかったと思われる。そこで、私なりに平易に翻訳するとその「連立方程式」とは次の通りである。(なお、国防の現実は微分方程式や線形計画法などを凌ぐレベルの難問題のはずだが、中学数学である連立方程式まで問題を単純化してくれたのだと思う。)
<問 題>
9条三項加憲論(自衛隊明記)について、次の連立方程式の解を求めよ。
方程式1:信頼維持のため「顔の見える自衛隊」として統幕長自身の見解を国民に述べよ。
方程式2:統合幕僚長が使える言葉は、政治的な制約の枠内とする。
問題の評価
これは難問である。かなりやっかいな「地雷」が埋設されており、それを踏ませようという悪意を感じる質問である。例えば「自衛隊を憲法上明記して欲しい」等と率直に述べれば簡単に枠を踏み越えてしまう。仮にここで「地雷」を踏んだ場合、野党とメディアの非論理的な飽和攻撃が予想されるが、自衛隊や改憲努力側を守る言論の「イージスシステム」は日本にはない。
問題に対する幕僚長の解
この難しい連立方程式に対する統幕長の解は、
「ありがたいと思う」だった。
これは「一休さんの頓智(とんち)」級のエレガントな解である。(個人的には「挟撃魚雷をかわす操艦」を連想する。)しかしその凄さは他者にはあまり理解できなかったと推測される。解りにくい理由は、論理的飛躍が大きすぎ、かつ明示されていない多くの前提条件を知っている必要があるからである。
それが証拠に、いつも啓発してくださるメディアや一部国会議員さえも「統幕長がありがたいとは何事か。憲法違反ではないか」と批判し、無理解ぶりを晒していた。今やメンタルタフネスは、アスリートのみならず議員やメディア業界の方にも要求される資質となったようだ。
問題読解
まず構造を下表の通り整理する。
[ 表:河野統合幕僚長の連立方程式の構図 ]
解法解説
一部メディアは、「自衛隊幹部が憲法に言及することは内容にかかわらず許されない」と自主的に決めており、今回のコメントを「政治的な枠外の発言」と断定した。マスメディアは、自衛隊幹部の憲法に関する発言ならば何であれ、素材として切り取ったり角度をつけたりして改憲勢力の批判材料に「調理」するようなスタンスが伺われる。今回の発言には彼らにとって可食部はないにもかかわらず、反射的に食いついてしまった。
統合幕僚長の解は、「憲法に自衛隊の根拠になるような条文が盛り込まれることになればそれはありがたい」である。つまり、国会(≒国民の意思)によって実現される可能性のある将来事象について、実現するならば「ありがたい」と感謝の気持ちを表明しただけである。そして質問者側が勝手に設定した仮定に対して丁寧に回答しただけである。
この言葉の政治的な方向ベクトル成分はゼロである。組織の謝意や人徳の方向ベクトル成分は大きいが、政治的な要求や意思表明は全くなされていない。
この解の絶妙な点
もちろん、いわゆる「行間」を読めば、「憲法に自衛隊が明記されることで名実ともに合憲の存在となりたい」という暗黙の主張も読み取れる。しかし表明された言葉はあくまで仮定に対する感謝に過ぎず、全く要望は含まれていない。ここに統幕長の賢明な配慮が見られる。国民に対して素顔を見せつつ、仲間である自衛官の長年の思いは晴らし、しかも政治的な制約はギリギリの線で守る。踏み外した時の破壊力を思えば、この瀬踏みには厳しいプレッシャーがあっただろう。しかし見事にクリアした。
河野統幕長のメッセージの核心
「自衛隊が憲法違反かもしれないという問題を抱えたまま国家が進むのはもう限界だ。一方で違憲論も自体も無理がある。今やこの矛盾と曖昧の状況に決着をつける時期である。」
これが、統幕長が真に伝えたかったメッセージだと私は考える。
新聞記者といえば賢者を生み出す母体だったはずだが、現在はどうも様子が違う。デスク経験者や編集委員といった新聞の社論を構成する「製造現場の責任者」たちも積極的にツイッターで意見を表明する。しかし、彼らの一部は、その思考が浅くて偏向していることをさらけ出してしまった。もはや彼らには、統幕長の真のメッセージは伝わらなかっただろう。
メディアはどう扱ったか
マスメディアの多くは、「改憲に反対」「安倍政権に反対」という自分達の政治的意図の実現を目指している。もっと言うと国民を「導く」醍醐味を楽しんでいるふしがある。そのために日々のニュース素材は丁寧に切り取り加工して報じている。2017年の統合幕僚長の発言も、その平常運転の中で充分に偏向させて国民の意識に注入していた。そのため、統幕長の真意はもちろんのこと、表面的なやり取りさえも殆ど国民には伝わらなかった。彼らは報道機関と言えるのだろうか。
メディア新時代
河野氏は切り取りや編集の可能性が低いメディアを選び、その見解を補足解説した。これによって一般国民には殆ど伝わらなかった「ありがたい」発言の真意が分かった。
視点を変えると、これらの意味するところは、偏向報道の催眠術が一部ではあるが確実に効かなくなっているという現実である。つい最近も野党議員の失言を素材として、地上波テレビなどが改憲批判に魔法の調理をして見せたが、SNSやウェブサイト論壇上では冷静な疑問の声が多数上がっている。通信技術と社会の進化によって、大げさかもしれないが、静かにしかし確実に民主主義の質的変化が進行中である。
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田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。