たたかう市民諸君!桜田義孝前五輪相が、また我々市民の心を踏みにじるような、許しがたい発言をした。29日に千葉市内で開かれた猪口邦子元少子化担当相のパーティーにて少子化問題に言及し「お子さんやお孫さんにぜひ、子どもを最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」と来場者に呼び掛けたのだ。同会合では彼は「結婚しなくていいという女性がみるみる増えちゃった」とも発言したという。
桜田前五輪相「子ども最低3人産んで」発言を釈明「誰かを傷つける意図なし」 – 毎日新聞
われわれたたかう市民の事情など歯牙にもかけぬ、傲慢な言動である。声がけだけで少子化は解決しない。この言葉に傷つく人だっている。凶暴な牙をむきだしにしたのだ。「政治家失格」に匹敵する発言だ。ましてや、彼は数々の失言により五輪相の座を追われた直後の出来事である。
この発言が、問題を多分に含むことは明々白々だ。政府は、われわれ市民が安心して子供を産み、育てられるような環境をつくってきたのか。少子化問題は長年にわたり叫ばれ続け、その解決策も見えていたのにも関わらず国の対策が十分ではなかったことは誰もが認識しているところである。子供を最低3人くらい産むようにお願いできるだけの環境を国が用意してきたのか。出産・育児環境だけでなく、経済の充実という意味でも国の打ち手が十分ではないことが現実である。
私たち夫婦がそうであったように、子供を授かることができず苦労している人たちもいる。妊活に対して配慮する企業もあらわれたが十分ではないと言えるだろう。本気で少子化対策に取り組むためにも、さらには妊活で悩む夫婦を支援するためにも、妊活支援を政策に加えよと私は政治家や経営者と会うたびに懇願している。迫る衆参W選挙でも争点にするべきである。桜田義孝はこのような事情もわかっているのか。
さらには、われわれたたかう市民は産む機械ではないのだ。子供を産む、産まないは自由である。夫婦やカップルのあり方が多様化する中、この発言は許されるものではない。
まずは、産みたくても安心して産めない夫婦を具体的に支援するべきである。少子化対策を叫びつつも、桜田はあまりに不勉強ではないか。
進研ゼミの小学生向け講座からやり直しなさい。
桜田義孝はすぐに「子どもを安心して産み、育てやすい環境をつくることが重要との思いで発言した。誰かを傷つける意図はなかった」と釈明している。この発言の前段の部分の取り組みは十分なのか。そして、数々の発言が物議を醸してきた中、この手の発言に慎重になるべきではなかったか。そもそも、この発言くらいで少子化対策が実現したならば、厚生労働省はいらないのである。この釈明も、あまりにも白々しいではないか。
「また、桜田か」「こいつに何を言っても無駄だ」「失言対策マニュアルができたのに」などと、シラけた声もあることだろう。私自身、桜田義孝批判ごときのために時間を使うのは無駄だと感じる瞬間もある。
しかし、このような問題には「NO」と、大衆的反逆の狼煙をあげ続けなくてはならないのだ。安倍一強、自民一強と言われるが、このような愚劣な、吐き気を催す邪悪には、断固としてNOの声をあげなくてはならないのだ。そうでなければ、結婚したくてもできないカップル、妊活に悩む夫婦、待機児童問題で苦しむ夫婦の悩みなど一生解決しない。そして、「何か左翼が吠えている」「メディアが揚げ足をとった」という風に矮小化され続けるのだ。
猪口邦子にもがっかりである。彼女が上智大学の学生だった頃の「青年の主張」でのスピーチは、歴史に残る名文だ。「わたしたちすべての人間は、生まれながらにしてなんらかの環境的宿命を背負っています。青春とは、その運命に対する挑戦であり、 自分自身のきびしい開拓の場なのです。」そう彼女は語りかけたという。政治学者から政治家に転じ、道を切り開いてきた。しかし、なぜ、このようなゲスの極みに、応援スピーチなどしてもらう必要があったのか。心底、がっかりである。
批判する野党にもがっかりだ。立憲民主党のアカウントなどが「女性軽視発言」と糾弾している。それは同意ではあるものの、これは「女性軽視」である「だけ」ではないのだ。むしろ、男性軽視でもある。国民軽視なのだ。子供を産むのは、育てるのは女性「だけ」であるという視点に批判する者も凝り固まっていないか。
与野党ともに、この発言を徹底的に批判するべきである。いつもともに問題を一顧だにせず、完全に彼岸化してしまうのである。抜本的改善をかちとれ!桜田の赤裸々な反人民性を糾弾し、怒りを込めて弾劾せよ。
われわれ市民もこのような失言にはちゃんと怒らなくてはならない。自民党のどてっ腹に大きな風穴を開けるのだ。恥多き政治家、桜田義孝を断じて許してはならないのだ。
私自身、桜田義孝に対して怒りをぶつけることに疲れ果てた。しかし、ここで怒ることをやめると、人類滅亡の危機だと直覚し勇躍決起した次第だ。微力かもしれないが、無力ではないのだ。
最後に桜田よ。私はこの子に対して「子供3人産め」と言わなければならないのかい?桜田の熱心な支持者はそうするのかもしれないが。「お前はそれでいいや」と言いたいところだが、そういうわけにもいけない。たたかう市民よ、無慈悲な鉄槌を振り下ろせ。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2019年5月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。