米紙ワシントンタイムズによると、アシュレー米国防情報局(DIA)長官は29日、「ロシアは核実験凍結を遵守していない」と指摘、核実験を禁止する包括的核実験禁止条約(CTBT)に違反し、核兵器の性能向上のために低出力の核実験を行っている可能性があるという。同長官の発言が事実とすれば、ロシアは核実験モラトリアム(一時停止)を破った最初の核保有国となる。
そこで同長官の発言を少し検証してみた。
ウィーンに拠点を置くCTBT機関準備委員会は29日、「国際監視システム(IMS)は正常に機能している。これまでのところ如何なる異常なイベントも見つかっていない」という声明文を公表している。北朝鮮が核実験を実施した場合、CTBT機関は即、データを公表し、記者会見で詳細な情報を明らかにしたが、今回はCTBT機関からそれ以上の情報は流れていない。
ロシア側の言い分には説得力がある。ロシアの低出力の核実験の実施を批判する米国はこれまで具体的な証拠を提示していないことだ。もちろん、加盟国の核実験を監視するCTBT機関が「異常なイベントは発見されていない」という以上、米国側の主張は「根拠のないうわさ情報に過ぎない」というロシア側の言い分を裏付けることになる。
米国には弱みがある。米国はCTBTを署名したが、批准はしていない。一方、米国を批判するロシアは署名、批准を完了している。だから、ロシアのアントノフ駐米大使は29日、米紙の報道を一蹴する一方、「ロシアはCTBTを批准しているが、米国は批准を拒否している」と述べ、CTBTを批准しない米国がロシアを批判する資格などないというのだ。
ちなみに、核全廃を主張し、2009年のノーベル平和賞を受賞したオバマ前大統領の政権下で米国は核兵器の近代化のため臨界前核実験を何度も繰り返してきた。もちろん、臨界前核実験は核関連物質の爆発が伴わないから、CTBT条約の対象外、という弁明は成り立つ。
CTBTは1996年9月に国連総会で採択され、署名開始されて今年9月で23年目を迎えるが、条約はまだ発効していない。今年5月末現在、署名国184カ国、批准国168カ国だが、条約発効に批准が不可欠な核開発能力保有国44カ国中(Annex 2 States)、8カ国が批准を終えていない。米国、中国、イスラエル、イラン、エジプトの5カ国は署名済みだが、未批准。インド、パキスタン、北朝鮮の3国は未署名で未批准だ。
CTBTの最大の魅力は世界の全地域を網羅する国際監視システム(IMS)だ。IMSは単に、核実験監視の目的だけではなく、津波早期警報体制など地球環境問題の監視ネットとして利用できる。核爆発によってもたらされる地震波、放射性核種、水中音波、微気圧振動をキャッチするIMSは337施設から構成され、現在297施設が完了済みだ。
CTBT機関のIMSの監視から逃れてロシアが秘かに核実験を実施していたとすれば、CTBTの信頼性は崩れ、組織の存続が問われる。核実験をキャッチされない方法で実験することは技術的に不可能ではないからだ。例えば、工費はかかるが、球形の実験所を構築し、核爆発の衝撃を減少させるカプリング方式だ。通常の核実験では北朝鮮の最初の核実験(2006年10月9日)のように小規模な核爆発(1キロトン以下)でもIMSの監視を逃れることはできない。
アシュレー米国防情報局長官はワシントンでの講演の中で「ロシアは現在保有している非戦略核の能力向上を進め、北大西洋条約機構(NATO)と中国に勝つために、中・短距離ミサイルの強化を図っている」(ワシントンタイムズ)という。
米中の貿易戦争に国際社会の関心が注がれているが、米ロ核大国の軍事競争も無視できない。米国が2月、冷戦時代の軍縮政策の成果だった中距離核戦力廃止条約(INF)から離脱を発表したことを受け、米ロの両国に中国を含む軍事大国間で新たな軍拡競争が起きている。
ちなみに、ロシアの低出力の核実験に関連したアシュレーDIA長官の発言は、ひょっとしたら米国の核実験監視能力を誇示することで、ロシアに警告を発する狙いがあったのではないか。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年6月1日の記事に一部加筆。