川崎事件被害者男性の記事拡散への危機感 --- 岡 真裕美 

寄稿

5月30日、川崎の事件を受けて、本サイトで東京外国語大学の篠田英朗教授が投稿された「亡くなった小山智史さんは『英雄』ではないか」が大きな反響を呼んでいる。この内容について、意見を述べさせていただきたい。

先に申し上げておくが、事前に、以下に記す自分の経験と思いは篠田教授にメールでお伝えしている。すぐにご返信をいただき、教授のお考えについて誠実に説明があり、意見交換ができた。

2の間でやりとりは完結したものの、その後もネットで拡散され続けるこの記事に、事故遺族の立場からの意見がなく、この度、この場をお借りすることとなった。

夫の事故死

私は夫を事故で亡くした。夫はジョギング中に、見ず知らずの小中学生が川で溺れているのを発見し、すぐに入水したが、救助中に深みにはまり亡くなった。34歳であった。数日後、助けた1人の中学生も亡くなった。

当時の水深は2メートルから4メートル。川底から上げられた時にはすでに遅く、亡くなった男性が夫だと知った時は、私が生きている意味も亡くなったように思った。しかし、2人の幼い子どもを育てるのは自分しかいないと思い直し、今に至る。

マスコミによる遺族取材と、事故の本質

事故当日、警察に夫の遺体を引き取りに行った時からマスコミが待ち受けていた。取材を避けて署内に入った。翌日の新聞にはどこから入手したか分からない夫の顔写真とともに、夫の職業、人となり、家族構成等の個人情報が掲載されていた。

当然のように自宅は特定され、インターホン越しに取材依頼があった。葬儀に入らせてほしいという依頼もあったが、何か伝えられるような精神状態ではなく、全て断った。そして、自宅周辺では近隣住民への取材が行われていた。事故直後から葬儀が終わるまでの間、マスコミが私たちの行く先々にいるという状態であった。

当時、夫は「正義感の強い人だった」と報道された。また、多くの方から「勇敢な人だった」「自分には真似できない」などと称えられた。その都度私は、事の本質は夫の行動ではなく、「なぜ事故が起こったか」だと考えていた。現場で一目で危険が分かるようにしていれば、事故は発生しなかったのではないか。子どもたちはなぜ川へ行ったのか…。

確かに夫の行動は勇敢に思えるが、勇敢だったから助けに入ったのではなく、反射的に体が動いたのだと思っている。また、現場の川が浅く見えたというのも、助けに入った理由の1つだと考える。しかし、そういったことは記事には書かれない。危険を顧みず救助に当たったと称賛され、事故が美談になっていることに違和感があった。

「亡くなった小山智史さんは『英雄』ではないか」に感じた思い

その違和感と同じような気持ちを「亡くなった小山智史さんは『英雄』ではないか」にも感じた。夫の事故後と同じ状況とは言えないが、夫を称賛した方々同様、篠田教授は男性を「英雄」と考え、記事にされた。そして、その記事は共感を呼び拡散され続け、Facebook上の「いいね!」は1.3万(2日昼時点)を超えている。

私が記事を目にしたきっかけも、知人がSNS上に記事をシェアしていたからである。影響力の高い方々が、このように被害者や遺族について発信することは、事件の悲惨さを知らせ考えてもらうには高い効果があることを痛感した。

それを理解した上でも、記事中、被害者の顔写真が使用され(これは編集部によるものだが)、凄惨な刺され方が書かれ、被害者が英雄化された記事が、美談として拡散される様子を、ご遺族はどう思うのだろうかと悲しく思った。しかし、私のような思いを持つ者はウェブ上では少数派のようである。

著名人の発信はマスコミ報道と同じ

ご遺族は今、大変な事件の真只中にあり、「取材を控えてほしい」と表明しておられる。取材が自粛されたとしても、著名人から発信されるご遺族についての記事は、社会的影響も大きく、マスコミ報道と同じであると思う。

SNS上にリツイートされる著名人の記事。ウェブ上に被害者の写真があふれる。そこに、「泣けた」「涙が止まらない」といった、時には顔文字付きでコメントが添えられている。この様子、私には社会で美談を「消費」しているように思えてならない。全員に悪意がないだけに、この現象に恐ろしさを感じる。

もちろん、先に述べたように、拡散にも意義がある。直感的に感じたことを、誰もが瞬時に発信できることがSNSの特長でもある。しかし、ご遺族にとってこの手放しの「感動の嵐」は決して嬉しいことではないだろう。美談で終わらず、事件に潜む数々の問題も、我が事として考えてほしいと願う。著名人の方々は、ご自身の影響力を考えて発信・リツイートしていただきたい。

被害者・遺族への言及は「今」ではない

事件・事故のご遺族や被害者は「金輪際取材に応じない」わけではない。「事故直後は、取材のタイミングではない」だけなのだ。もし、取材目的が、事件・事故の再発防止であるなら、発生原因や再発防止策を報道しながら、ご遺族から了承が得られた際に取材をすれば良い。

これは、著名人による被害者やご遺族に関す言及も同様である。何の非もないご遺族に、「取材を控えてほしい」と言わせてしまう現状を受け止めていだきたい。即時的な発信の重要性も分かるが、被害者やご遺族に関する取材・発信については「今」ではない、と私は思う。

岡 真裕美 大阪大学大学院人間科学研究科 特任研究員
2012年、夫が、川で溺れていた見ず知らずの子どもたちの救助にあたり亡くなる。事故をきっかけに、翌年大学院へ進学し、「子どもの事故・ケガ予防」の研究、講演活動等を行う。小中学生の2児のシングルマザー。